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日本にいてもオーストラリアにいても学校にあって僕はいつだっていじめを見てきたし自身いじめを受けた経験がある。いじめはなくなるものではないことを多くの人が察知していながらそれを仕方のないものと受け止めている。そしていじめは人が大人になればなくなるものでもない。大学の薬学部生だった女性が同じバイト先のギャルっぽい子を外見から知性が劣るだろうと明らかに見下す発言をしたのを聞いた。それはさも当たり前かのような口調だった。見下す側はいつだって見下すなりの理由がある相手が悪いと信じているから、いじめられるほうが悪いというような暴論が生まれる。よし自らいじめられる原因を生み出してしまう人間がいても、原因があるからといっていじめていいわけではない。一度見下し始めると、見下し続けるうち次第に見下していた原因が消失し、対象を「見下されるべきだから見下している」ようになる。いじめが発生しないのは嫌悪される対象がする側よりも上にある場合だけだ。それらは愚痴という形をとるようになるだけで、潜在しているものではあるのだが。ただ上にちょうどいい愚痴の対象がない場合、対等の集団のなかでほかも気に食わなく思っているだろうとされる対象をひとつ選んで下に置くことで、集団全体のガス抜きを図った結果であることを僕はしばしば見かけた。三国志において曹操が食料担当が盗み食いしていたことにして首をはねて飢えていた兵士の不満をそらさせたことはこの傾向を巧みに扱った例だろう。
大人でもする行為だから子供がしても多めにみるべきというような風潮が僕には理解できない。大人がしてよくて子供がしてはいけないことなどたくさんあるのになぜ犯罪だけは許されるのだろう。得てして子供の犯罪はだれも責任をとらない。酒だの煙草だの娯楽的なものばかり関わった大人が責任を取らされるのに。しかしよく考えてみればいじめに関しては大人も責任をとっていない。いじめが発覚した場合学校はそれを知らなかったことにしようとする。知らなければ済む話でもないと思うのだが。囚人同士が殺し合っても知らん顔する看守と同じように感じる。それが正しい物事の形だとは思えない。
いじめを筆頭に未成年の犯罪を防ぐ最良の方法は子供の犯罪に保護者が当事者のように罰せられるようになることかもしれないが、そんなことになれば人はますます子供を産みたがらず少子化は一段と加速するだろう。どうしたらいいか。最近流行りの父権主義的なやりかたがいいんじゃないだろうか。インフォームド・コンセントだ。先にいじめが引き起こすだろう結果を子供に教えればいい。いじめが発覚した場合、いじめの深度によってそれが周囲に知らされあなたは親、担任、学年主任、生徒指導主事、教頭からそれぞれうんざりするほど長く追求され内申点に著しい影響を受け、親はたとえ謝罪しようと村八分的扱いを受け、引っ越しを余儀なくされることもしばしばあり、またその引越し先でもまた噂が広まり肩の狭い思いをすることになりうるが多くの場合いじめの被害者以外はいじめがあったことを忘れており、いじめの被害者は逆に参加しないことも多いため同窓会は気分良く過ごせますでしょう、みたいな感じで。
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