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医学の歴史を見る上で、民衆の健康の水準を底上げしてきた医者たちは常に包括的な機関による、できれば行政主体の健康管理の必要性を説いてきた。18世紀に生まれたヨハンペーターフランクによるはじめての本格的な公衆衛生を説いた本は食事や住居についてのみならず死体の処理まであらゆる営みにおける衛生の方針を定めようとし、それを行う機関を「医事行政」と呼んだ。
このSF作品を読みすすめるにあたってひしひしと感じた恐ろしさはまさに包括を極めずにいられない公衆衛生の現状だ。ビッグデータから導いた統計を契機とした臨床研究や新薬開発、ドラッグリポジショニングなどについて日本においては東北大学をはじめその他医療研究所が行っている。これらは一見手間をはぶき、リスクを減らすように見えるが、その統計精度の向上を求めることをやめられない科学の性は最終的に人類全体の統合的かつ恒常的な情報網を求めるに至るのではないかと思っていた。
健康が人間の基本価値となり不健康は悪と同列になり自殺はそれ以上の悪徳となった未来を描くこの作品は完成度として粗いところが多い、けれどもこの健康至上ユートピアを否定する作品を書いたのはまさに肺癌で苦しむ病床で命を削っていた人間だった。この小説の中で主人公霧慧トァンはこう語る。「我らの世代は、お互いが慈しみ、支え合い、ハーモニーを奏でるのがオトナだと教えられて育ってきたから」
現在の我らの時代もまたそのハーモニーの病に侵されている。毎日のようにどこかで起こっているSNS上の炎上は道徳観念の共有による異物の排除にほかならない。企業の就職説明会場の前では男女が、男女の区別もつかないほどの同調性を示して黒い蟻の列を並べている。彼らのいなくなる日は来るだろうか。彼らの各々が自らの中で自分自身を他の人々とは明らかに違うのだと信じている。僕にはそれが遊戯的な自立としか思えないし、多くの人はその遊戯的な自立で構わないほど自らが世界にどのように立っているかに興味がない。ただ都会にいれば、インターネットにあれば、ひとつの自立が手に入るかのような気楽な自立が安易な健康=安定=幸福の図式を完成させて、それを補強するために他者にもそれを強要するのだろう。人が自殺しなければ自由になれない社会は嫌だが、自殺もできない社会はもっと存在してはならない。
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