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ライアン・ゴズリングは大仰な演技をする役者だと思っていた。ついこのまえも飛行機のなかでみたThe Nice Guysという映画に彼は出演していた。その映画自体はなかなかひどい作品で、ジョークは面白くないしストーリーのテンポは悪く、太り過ぎたラッセル・クロウが辛そうに走ってライアン・ゴズリングが窮地に陥るたびにFワードを言うだけの映画だった。そのときからライアン・ゴズリングをぼくは演技がわざとらしい役者だと思ってみていた。すこしキザに過ぎるところがあってジャニーズ俳優ほど酷くはないにせよ、使い所が限られそうな役者だと感じていた。
La La Landはぼくの好きなエマ・ストーンが出ているから絶対に見に行こうと決めていた。大きく広告を街中に打っていたわりに安い映画館だとブリスベンで一つしか上映していなかったため平日の昼間に行ったにもかかわらずほぼ満席だった。そうして見た肝心の映画は面白かった。はっきり言ってありきたりなストーリーにミュージカルを乗せたものだし、逆に言えばミュージカルはオペラと同じように歌って踊っていれば別にストーリーは取ってつけたような軽いものでいいのだから、それでも見終わるまでちゃんとひきつけてくれる映画だった。多少は僕自身二年半におよぶひどい恋愛を終えたばっかりだったから、キザで常に時代遅れのロマンティシズムを追って、もう一度はじめから恋愛できるならもっとこうしたのにということを考えているライアン・ゴズリングに自らを重ねてしまったからだろう。彼の大仰な演技はミュージカルにおいては最大限にはまっていた。
まるで純愛ものの映画などを感動して見るような女性ほど、純愛から全く程遠いことが多いように、清廉性を大事にする人間は自らを否定している。恋愛映画にあるような、素直な男からの愛情を求めて、真っ直ぐな眼で言う「あなたを愛しています」を待っている。そしてその言葉は、自分が他人よりも謙虚でいたから言われたのだと信じているからだ。しかしそういう人に限って一度愛されたと知るやそれを当然のことのように思いはじめる。
謙虚なだけの人間は嘘の構造物にすぎない。美徳は世の潤滑油にしかならないのに、ジョークとして通用するほど就活では自らを潤滑油に例える学生が大勢いるという。エンジンオイルは車にとって必要だが入れすぎたなら却って車の機構全体に負担をかけることになる。本当に必要なものは露骨に機能する単目的の部品だ。ミュージカルにおいて歌って踊るのは煩瑣な描写を飛躍できる美徳の共感でありその目的に従ってLa La Landの序盤は歌って踊るが主人公二人のエゴが食い違ううちに歌も踊りも減っていって、最後に歌が現れるときはエマ・ストーンが自らの夢のために自らを次の利便へと飛躍させようとするときだ。これはまったく新しいミュージカル映画における歌の使いかただろう。
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