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ぼくは自分から進んで政治的主張をしないようにと考えている。なによりもまず、僕にはまだ自らの発言の理由を自分自身が納得して信じられるほどの知識や経験の裏付けを持っている自負が足らないからだ。そしてなによりも僕は未熟だ。社会運動や政治運動はすぐに集団化する。社会や政治という大きな集団に対して戦う大集団対小集団の構図がとてもおおいが、ぼくの未熟な眼はまだ小集団の中の個人が精一杯だ。
それに政治問題となるとすぐに幼稚な人間が出て来るから嫌いだ。インターネットの普及とともにこれまで以上に表面化したが、彼らはただの不満をもった無知な強者になりたい弱者だ。いわば彼らも僕と同様政治に関しては無知であり、情報を与えられた形でしか処理できないため、不安でいる。その自身のなさをごまかすために、反対の立場にいる人々を見下し、蔑み、物事を最短距離から遠ざけるような実力行使にでる。
政治的発言はもちろん他者への発言ではなく、社会への発言だ。討論においてもそれは、代表同士が論戦しようが、それぞれ社会へ向けて言葉を放っている。その言葉に社会が、その構成員が反応する。目の前の論敵を言い負かすことはそこに対して大きな意味を持たない。大衆とは彼と同じ分野への興味を持たない人間のことだ。多くの活動家や思想家が自らのなかの目的のために行動しようとそれは本人の意図に関係なく最終的にいまだ興味を持っていない大衆の手に委ねられるべきであり、またそこで消費されるべきものでもある。ぼくが政治的発言をしたくないとここに書くのは自分のなかで、自らのことばが大衆にどのように解釈されどのように消費されるべきかその理想が描けないからだ。あらゆる突発的な行動も解釈されるべき理想すら持たなければ単なる暴論であり暴挙でしかない。
ぼくがここで嫌悪する幼稚な人間とは自らをまったくもって幼稚だとは思っておらず、むしろ選民思想に近い優越感を大衆に対して抱いており、物事が自らの思想どおりに進まないことを、大衆の幼稚さのせいにしようとしている。今回の大統領選挙でそれは特に如実なものとなった。ぼくはアメリカ人でもなく、蚊帳の外の人間であり、どちらであれそれを受け入れる他ない。しかしぼくがあきれざるを得なかったのは望まない結果となったことを、民衆が馬鹿だからと言い訳している人々だ。民衆が馬鹿なのは思想の最前線にいる人間からすればそうに決まっている。そして無知ならわかりやすいものへ走りがちなことも選民思想を持った有識者ならわかりそうなものだ。有識者が世界に対して貫きたい一家言があるのなら、それを無知な人間へ発信するのが彼の責務ではないのだろうか。先程言ったように議論なり発言なりそのようなものは、目の前の反対意見をもつ人間へ向けていようとも、実際のところは無知の大衆へ向けたものであるし、願ったとおりの結果にならなかったのは、自らの世間への働きかけが足りなかったということだ。人口の大半を占めるにきまっている低所得者、低学歴者たちの無知を嘲って何になる? 世界に対して自らが感じている責務を放棄してちっぽけなプライドを守りにかかっているのにすぎない。政治にいれこむひとのそういうところが嫌いだからぼくはその一部にはなりたくない。そもそも無知な自分すらどの方向にすらも啓蒙できていない自分自身にその資格はない。
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