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奴隷のように無思考で働かされている社員を社畜と呼ぶのが定着してもうしばらくになる。そのような社畜にならないように様々な思想書、自己啓発本などを読んでそれを日々実行しようとする人を意識高い系とも呼ぶが、彼らもまた自らの効率化の果てに行き着くのは結局社畜ではないのか。自らの非効率性を理解しそれを改善しようとするなかでついに出来上がるのは自己からは遠い「仕事」を最も効率的にできるようになった人間だ。
主人公は大学時代に知り合った純朴で何も知らないスポーツ入学の友人クォーターとともに行動する。彼とともに会社を起こし、それが買収されて終わると今度は人間を再起動する宗教をともに起こす。主人公はクォーターに自分の思考を説明することで、その雑然としたまとまりかけのものをまとめることができていた。主人公があくまでビジネスとしてはじめた宗教「リブート教」はかなりの速度で成長し、自分がありもしないものとしてでっち上げたはずの、生きる上での無駄を排し再起動するという思考を盲信する人々が増えて主人公は苦しくなる。クォーターも次第にその思想に染まってきたようで、より孤独を極める。次第に再起動者が現れ始め、単純作業しかできない無能を持て余しはじめるが、それを受け入れたいというビジネスマンが現れる。最終的に公安から眼をつけられ信者だったビルオーナーの家族から通報されるかたちで逮捕される主人公に再起動者となったクォーターは逃げるといって別れを告げ、拘置所にいるうちに狂った主人公も再起動を迎える。最後は無感情無抵抗な人間の壁として戦地に派遣される再起動者たちの新聞記事で終わる。
最近の小説にすごく多いように感じていることだが、とても早足な小説だ。そして展開に余裕がない。それ自体は決して悪いことではない。必ずしも小説に余裕が求められるわけではない。ただ今にはびこる雰囲気が小説にまでその余裕の無さを流入させているように感じられただけだ。個が尊重されると同時にその量があまりに増えたために、一人の個として世界にあろうとすることは、暴風雨のなかで穴を掘り旗を立たせることよりも難しい。ぼくらはともすれば揺れて危うくなる。危うくなると何かしらの方向に自信を注がなければまったく立てなくなってしまう。そんななかで、すべての自信を捨てて脱することが最善だと説かれたならなびく人もいるのだろう。まったく今日の情勢がこの小説に説得力を与えている。皮肉の効いた最後ではあるが、日本軍の戦争がそのまま経営学のテキストにもなりうるように、企業もまた大きくなれば一つの都市国家のように機能するみたいに考えれば現在の人々の仕事への取組かたを大きく描いただけにも見える。個人的にクォーターから始まった物語だったからにはクオーターが最後を締めてほしかったと思う。
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