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田中小実昌の「ポロポロ」をまた読み返しているような戦地とは思えない笑ってしまうような話だ。捕虜になって移送されるときの話だが、彼にとっては生死を争うはずなのに話のとこ所々で笑ってしまう。現代に生きる僕らは一切の人間味のない冷酷な殺し合いだけがあったのだという先入観がまずあるのではないか。きっとそれは真実ではあっただろう。多くの人が実際に誰かへ冷酷に、望まない死を与えたろうし、また与えられただろう。しかし全てではない。歴史を政治の道具として用いる人のなかには戦争のなかの出来事を一色に塗りたがる人が多い。一色で塗ることによる利点などと僕は距離をおいておきたい。「野火」によって極限状態の人間を見事に描いた小説家がこのような短編を描いたことからも感じられる希望もない死と生にすがるせいで生まれる滑稽とが同居しているその異常さこそに僕は目を向けたい。
関係ないが、まだ読んでいないまま積読してある本でも、次これ読もうかなと迷っているときに一行目を読んでからぱらぱらとめくるのだが、この作家の「花影」という一冊を取り上げたとき、ひらひらと一枚のメモ用紙が落ちた。ホテルの部屋においてあるロゴ付きのメモだった。「大丈夫だよ 葉子は俺が守る」という内容を読んだとき急に誰かに見られているような恐怖を覚えた。葉子とはその小説の主人公だ。
女性蔑視だのどうの言うわけじゃないけど、恋人を見つけられなさそうな人には女性全体を自らの性欲のため、それを満たす能力があるのかないのかで判断しているような人がいる。最近の作品なら村田沙耶香の「コンビニ人間」に出てくる白鳥さんなどだ。そこから少しそれて、さらに限定していくと、こういう人の中にはアニメキャラやアイドルなどのファンにもいるが、そこには憧憬や崇拝などの気持ちではなく独占庇護したい、自分が水を与えなければ枯れる美しい花の花園を自分だけが眺め干渉したい驕りがあるように思えてならない。しかしこの欲には没入があるわけではない。壁がある。普段はそんな壁などないように振る舞って発言するが、一度そのキャラクターやアイドルに恋人がいいたりすると一瞬でそれはあらわれる。愛してはいるがいつでも切り離せるように準備しているのかもしれない。
それと比べるとこのメモ用紙は違う。ここにはそこはかとない没入が感じられる。この古本特有の甘いカビ臭さを出している本を読みメモを書いた人物はおそらくメモを見つけた当時の僕よりも若いだろうと考える。それはまさしく没入によるものだ。ドラゴンボールやナルトを読んで物語の登場人物の一人と自分を仮定して運動場で戦った小学生時代の自分が鮮やかに思い起こせる。そして僕が感じた恐怖は、もう以前のように没入して小説を読めないだろう自分を見つめる、小太りで運動嫌いで羅漢中の三国志を何度も何度も読み返して自分を関羽だと思って自転車に赤兎馬と名付けていた自分からの悲しい視線だった。
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