鈍い音がしてふりむけば、彼が鉄棒の下でよろよろ立ち上がるところだった。ぎっくり腰になったような中腰の姿勢で止まった彼の肌がみるみる青白く脱水されていくように見えて、鈍い音は何なのかと考えるよりも先に僕は本能からの忌避感を覚えた。彼は呻く。言葉は満足に紡がれない。口から糖蜜のように血が垂れた。歯を打った、鉄棒で歯を打ったと合点がいった。僕はとたんに怖くなって逃げた。
 気付けば僕は大雨の中を走っていた。工場からの帰り道なのか、からだから工業用油が豚の汗のように揮発する。雨もまた僕を打って油と抗い合って粘りつく。
 僕は黒い家の軒下でからだを乾かしている。油と雨が乾いてもまだ争っていてむずがゆい気がする。遠くの方を眺めると、暗闇の奥から提灯なのか懐中電灯なのか光が揺れながら近づいて、僕より数歩手前でぱっと消えた。横から声をかけられた。中東生まれの男、僕より三つ程年上で僕にはできないくすぐったそうな笑顔で、「僕の友達は爆死したよ」とだけ言ってどこかへ帰ろうとする。名前を叫んだが、僕はそういえばもう彼の名前を忘れていた。
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