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太宰治は面白い。「人間失格」や「斜陽」を含めて有名な作品はあらかた読んだが「津軽」などまだ読んでいないのもある。もはや読むことはないような気がひしひしともする。太宰治は小説にはまりだした人にとってある種の、おたふく風邪のようにうなされる魅力をもっているが、また同時にその熱をすぎるともう一度かかることが難しくなる。そして十年前に読んだ作品が絶対に今の自分ほどちゃんと読めていたわけではないのをわかっていながらどうしても読み返そうという気になれない。
この群像七十周年記念に入っていたから読んだこの作品は過去にも読んだことはある。
このトカトントンの音、これは太宰治の作品のなかでも屈指の普遍性を持っているように思う。これに並ぶのは「御伽草子」や「黄金風景」くらいなんじゃないかと僕はみなす。僕らは誰しも心のなかに僕らそれぞれのトカトントンにあたる音を持っているだろう。熱中することは難しい。熱中している自分に気づいてしまうと、熱中が常に平常から外れた利益を生みうるかわからないことに基づいているだけに、トカトントンのようなあからさまに人々の平常な営みを思わせる音が響いてしまうと脱力して自らの浮かれ具合がだめになる。
しかしこの作品は最後の一段落がなくて良いのではという思いもする。たしかにそこで小説家が返事している魂との一致がどうのは合っているのかもしれないが、小説が小説内で安易に答えを出し切ってしまっていいのだろうかというためらいが残されてしまうように感じる。太宰治は芥川龍之介の大ファンであるから道徳的な訓話にできるのならしてしまいたいという思いがもたげてしまうのだろうか。
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