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高畑淳子の会見は本当にひどい演技だった。ベッキーの会見の方が春香にましだったと言わざるをえない。世間の同情を惹くための会見なんだから女優でない素の一人の、たまたま有名人だった母であるだけでよかったのに、彼女の根にしみついて、邦画の大根演技を隠せなかったのだろう。根はやはり抜けるものでない。悲しくてムカつく話だ。少なくともあの会見に心を動かされるほど貧しい人間がいるのかと思うとやるせない。そもそも強姦されることの恐怖を理解できない人々の多さには驚く。強姦の恐怖のまえにあんな母親の釈明はなにも和らげない。強姦されることに年齢は関係ない。快楽殺人犯にアイスピックで内蔵をえぐられることとなんらかわらないし、性的な尊厳の蹂躙はそれ以上でさえありうる。そもそもメディアが加害者の母親を取り上げれば取り上げるほど被害者は二次的に傷つく。しかも会見の九割はメディアに対しての謝罪であり被害者は「被害者とされる方」あつかいだ。彼女の演技がひどかったのもうなづける。自己保身とこのような事態への怒りのためにそもそも演技に入り込んでいなかった。かぞくはかばうものという意識を誰もがもっていると倫理は語るからか捨て置かれているが、完全に弱者をいじめている。高畑淳子も二次的な精神的傷害を与えているのだとみなされても仕方がない。あまつさえ息子の強姦をもって自分の舞台を宣伝しているのだからすごい。僕がもし強姦され犯人の親にそれを使って広告されたら、絶対に犯人とその一族郎党を許さないだろう。女子高生コンクリ事件くらい胸糞悪い。
あとジェーンフィッシャーによる陳腐な歯ブラシアートも被害者のトラウマをえぐるだけの代物だから取り下げるべきだ。同じ犯罪の被害者だからといっても、被害者の状況や人となりごとに傷つき方とその乗り越え方には多様性があるのだから、陳腐な芸術以下の風刺芸術は自己救済の偽善が過ぎるし売名だ。
これはテレビでおネエ系と名乗るカテゴリーの人々が同性愛者の代表面しているのと同じ嫌悪感を抱いた。異性愛者に多様性があるのに同性愛者には「オネエ」とかいうださい名前の立場しかないようなあの感じだ。男が男を好きになるうえでなぜ必ずしも片方は典型的な女性像に従わなければならないんだ。
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