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 クイーンのヴォーカリスト、フレディ・マーキュリーは病に屈するその前の、最後のアルバムにディライラという愛猫へ捧げた曲を吹き込んだ。死を目前にして、自身の消滅を、友との愛する人との永遠の別れを前にして、自身より遥かに寿命の短いはずの猫にも別れを告げなければならない彼の苦しみを僕はまだ察する事ができない。そのためには僕はあまりに若く、またあまりに無知すぎる。十歳の頃、急性盲腸炎で僕は通常の三倍にまで肥大した盲腸を取り除くために全身麻酔を受けた。圧倒的なまでに意識が押し潰されるとき、鎮圧される五感の中で僕は確かに死を微塵も意識していなかったし、生きながらえない恐怖でなくむしろ眠りを強制されることへの不快しか覚えていなかった。それより八年が経過して、僕は僅かながら老人から漂う哀愁が自身が伝染してくる時に覚える果てしない感覚を摑めるようになってきた。年をとるごとにその永久へかき消える恐怖が強くなっていくのだろう、あの自分がどうなるか知っていた音楽家はそれをそこらの老人のように徐々にでなく受け、その断末魔の叫びを最後まで音楽にしたのだろう。僕にはイニュエンドはあまりに痛々しくて、何か別の作業をしながらでないととてもじゃないが聞いていられない。
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