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夢か現実か、それを見事に描いた小説とそのアニメ化作品が日本にはある。
筒井康隆の「パプリカ」だ。
パプリカでは夢の中へ入ることは建前上は様々な医療のためだ。
この映画においてはビジネスになっている。

人の夢に入り込んで情報を盗む仕事をしていたコブは新幹線の車内で巨大企業のボスであるサイトーの情報を盗んだ。
しかしサイトーに身元を見つけられたコブはサイトーにある取引をもちかけられる。
ライバル巨大企業のボスが死ぬからその息子の夢に侵入し、引き継いだ企業を解体するアイディアを刷り込んで(インセプション)すれば犯罪歴を抹消して会えなくなっている子どもたちに会わせてやるという。
準備を整え、サイトーの持つ飛行機に乗ったその息子ロバートの夢に入り込んだコブたちはそこで武装した部隊に襲われる。
ロバートは自分の夢を守れる武装を刷り込まれていたのだ。
果たしてコブのミッションは成功するのか。

いちばんの問題はコブが死んだ妻の幻影に夢のなかで付きまとわれていることだ。
一部のレビューなんかではそんな妻に付きまとわれている状態で仕事するなんてプロ意識に欠けると批判していたが、それは少し的外れだと思う。
葛藤のない映画は面白く無い映画だ。
それは設定がその設定通りに進んでくれなければ困るということで、設定至上主義的な考え方だ。たとえば漫画やアニメでは設定があまりにも大事にされすぎていると思う。
2chで強さ議論スレが大概長くなることからも設定がなによりも好きな人がいっぱいいるのは想像がつく。
ほかにもSCP財団なども設定好きの極みのようなものを感じる。

まあ夢のことだからどうも哲学的になるのは仕方がないし、その哲学的な接近が監督の狙いでもあるのだろう。
哲学なんてソフィーの世界を読んで、あとはプラトンやアリストテレスを一冊ずつ、ボーヴォワールの「第二の性」ぐらいしか読んでないから全然知識がないのでリープ・オブ・フェイスが何を意味するのかよくわかっていなかった。
とりあえず信じて飛べやくらいの気持ちで観ていた。
調べてみてからキルケゴールの思想を知った。
知ってからソフィーの世界を読み直したらキルケゴールのことも載っていたし、かなりわかりやすくその思想が書いてあった。
どれだけ自分が読み過ごしていたかを知って落ち込んだ。
コブたちはロバートに五人がかりで一つの考えを信じこませるのだが、コブ自身も妻の死を乗り越えるために妻が自分の幻想なんだということを信じこませる。
そうして妻を葬り去って元の世界へ帰ってこれた。
自分にとっても不合理なことであろうともそれを受け入れることで乗り越えられたわけだ。
最後に彼はコマを回すが他の時とちがい全くどうなるかみていない。
そのまま子どもたちのもとへと行ってしまう。
彼はもう確信できたから確認する必要はない。

個人的に映画のなかで不満足だったのは、夢のなかでの有象無象はあんなにも顔を持っていないものだと思うことだ。
僕の夢では知っている人間以外はみんなめったに顔を持っていない。
男性か女性か輪郭も表情もぼやけている。
都市伝説にいろんな人間の夢に現れる男の話と顔の絵がある。
なんとも曖昧なぼやけた顔だ。
夢のなかの兵士たちはもっと顔のないほうがよかった。
コブの無意識が産んだ人々がアリアドネを一様に見つめているシーンなんかは逆に全員コブっぽい顔してたほうが夢らしくてよかったんじゃないだろうか。
マリオン・コティヤールは怖くていい感じ。
エレン・ペイジはやっぱり自分にしかない雰囲気を持っている。ウディ・アレンに抜擢される女優はみんなするどい個性を持っている。
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