遠い親戚はその遠さに応じた割合で自分からしたら他人の血を含むのに、異母兄弟にはどうもそれ以上に強く他人の血を見てしまうように感じるのはなぜなのか。
あるいは半分だけ混ざっているのが却って強固なよそよそしさをはらむのだろうか。
半分日本人よりも1/8 1/16だけ日本の血が流れているほうが親近感がわくようなことが。
しばらく考えてみてそれは親近感でなく感傷が共鳴できる周波数なのだと思った。

青山七恵の「ひとり日和」は良いタイトルだなと思って買って本棚に差してある。
本棚に連なる様々な語感のいい言葉たちのなかに「ひとり日和」という言葉も並んでいるのを見るといい気分になる。
まだ読んではいない。
今作が初めて読む彼女の作品だ。

脳溢血になって入院した父を見舞いにへっぽこドライバーな主人公はそこで何度目かの再婚をしたすえに生まれた中1の異母妹と会う。宇宙と天体が好きだという彼女は、母が祖母の体調の優れないために行けなくなった天体観測のイベントへ主人公に自分を連れて行ってくれるよう父に頼んだ。
終始彼女に押されるかたちで二人の旅がはじまる。
旅は単に天文台へ送るだけでは済まない。
主人公はどうやって免許をとれたのか不思議なほど、運転が下手だ。
緊張して不注意になり、不注意が原因で後続車や対向車にクラクションを鳴らされ、そのたびに萎縮してより緊張してしまう悪循環におちいっている。
物語はそれから中1の異母妹がついているとある嘘に向かって終結していくのだが、それまでに波瀾はまだいくつもある。

二人の登場人物に共通しているのはちょっぴり病んでいるという点だ。
小説はフィクションであるからそれ相応に登場人物も何かしら極端な部分を内面に持ち合わせていて普通だ。
ふたりとも人との距離感がよくわからなくなっている。
妹は少女趣味の抜け切らないマセガキだし、主人公は過度の自信不足から人に怒ったり憤ることが苦手になっている。
しかし、物語を読み終えればわかるように、妹が天文台へ行くにはこの異母姉が必要不可欠だった。
妹の理由は少女趣味的な感傷だ。
あたりまえのことだが他人の感傷的な気持ちを満たしてやろうと思える人は同じく自分自身感傷を必要としている者だけだ。
その事実が物語の最後に大事な標のように突き刺さっている。おそらく妹の母も祖母も妹のことを愛している。その情熱はときに自らの命すら燃やしうるものかもしれない、普段はそんな風にはまったく振る舞わないにしろ。
しかし彼らは妹に対して感傷的になってやることはできない。
病床から言ってやれといった父を含めて日々の些事などでなくもっと深刻な理由でどこか疲弊している人だけがその感傷を共有できるようだ。
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