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実のところ川端康成文学賞受賞まえから読んでいたのだ。しかし僕は見栄っ張りなくせに実際ミーハーなのにミーハーとは思われたくないとも思っているから、まず最初に、雑誌掲載時に読んだときこの作品は短編集にまとめられると思ってその時書評をまとめるつもりだったのだと、この誰も見ていないようなブログで宣言しちゃいます。

男女の友情がありえるかという意識は男女の間でかなりのへだたりがあるように感じる。男性にきけばありえないという意見が大半なのに女性はありえるという人が多い。実際に友達同士な男女の片方ずつにたずねると、男性のほうは曖昧な返事をすることが多々ある。

山田詠美ほど女性の友情、その友情と表裏一体の嫉妬を描くのが上手なひとは現在ほとんどいないんじゃないだろうか。たとえば中沢けいの作品に「女ともだち」という佳作があり、それはどちらかというと女であることの違和感などが中心に吸えられているようで、どろどろした類の作品はやはり山田詠美が十八番だと思う。山田詠美といえば黒人との恋愛という偏見をいまだに持っている人も多いが、彼女はその作家生活の初期のうちからすでに「蝶々の纏足」という女性の奇妙な友情を描いた傑作を発表していて、しかも彼女の女ともだちものにはハズレがない。

この作品も主人公の女性が、友達である男とは大の仲良しで、彼が結婚したいまもなお子供まだいないのもあって、頻繁に家へおもむき、彼の子供のように無邪気なかわいい嫁と三人の生活をうまくできていると思っているのだが、実は彼女の知らないうちに嫁のなかに葛藤が広がっていたのだったという、嫁と主人公の友情が、男女の友情以上に注目されている。実際に主人公と男友達とのあいだに友情があるのに、女友達の嫉妬心はそれを許さず認めない。そこに絶対関係があるはずだと決めつけている。傷ついた主人公は困ったあげくに男友達をホテルに呼ぶ。ふたりはすぐさま必要を理解し、男女の友情はありえないという一般的な認識へ自分たちを落とし込んだ。そうしてあまり家に寄り付かないようにした家で嫁は子をもうけ、生活も安定しているように見える。自分がやったことが正しかったのだと安堵する主人公に嫁が放つ最後の言葉はさすが山田詠美といわざるをえない。

僕自身は男女の友情は若く魅力的な者同士では一般的にありえないんじゃないかと思っている。自分のなかで他人を好ましく思うラインを超えていて安全そうであれば誰とでも関係をもてるし恋愛にさえ発展できる人はおそらくほとんどだ。倫理観によるブレーキの利き具合に個人差があったりする。失うものの少ない年齢ではむしろ異性であれば性的接触自体が友情の圏内に時と場合により収められうるものだ。落ち込んだ同性の友人を慰めようとその肩を叩いてやることとなんら変わりはない。個人と個人の相互作用のなかで、ステータスが合致するかしないかの違いだ。もしほんとうに若く魅力的な男女の友情があるのなら、それこそ女性側が男性側に好意をもっていて、男性側がそれを知りつつ目をつむらなければありえないと僕は考える。つまりぼくは嫁と同じ側にいるのかもしれない。
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