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小説に政治が持ち込まれるのは個人的にあまり好きじゃない。政治を馬鹿にしているのでなく、政治は政治として扱うべきであり、ただ芸術と相性が悪いと思うからだ。政治を扱った傑作だってもちろんあるわけだが、それらは政治というものを巧に解剖しているというよりも、政治を通してちゃんと人を描いているからだろうと僕は思う。あるいは政治というあまりに陳腐化しやすい題材のその陳腐さを逆手にとって上手に、時の洗礼を表現している場合のみだろうと考えている。
また僕は自分でも呆れるほどの偏見家だと思っている。ものごとをまず最初の印象で決めかかってしまうところがあるし、流行りモノに弱いし、そんな自分が恥ずかしいし、そういったものに流されない他人を本当に羨ましくおもう。
前置きが長くなったが、この小説は政治的問題を扱いながら政治色をたくみにかわし、偏見というものに立ち向かっている。
 あらすじを描くと、オレゴン州のハイスクールに通うジニは一切の言葉を発することを拒んだため卒業間近になって退学処分をうけてしまい、著名な絵本作家でもあるホストマザーのステファニーになんと言おうか困ってしまいつつこれまでの自分を回想した。彼女は在日朝鮮人で日本語しか話せなかった。学校での授業で朝鮮半島について習ったことをきっかけに、一人のクラスメイトから朝鮮人だと言われ、疑問を抱く。母のすすめで中学は朝鮮学校へ行くが今までの自分の生活と関係のなかったチマチョゴリの制服に混乱し、話せない朝鮮語しか使ってはいけない学校でも朝鮮語を使おうとはせず、浮いた存在となる。ニナという友人ができ彼女は面倒見よくジニに朝鮮語を教えようとなじませようとしてくる。唯一の友達をありがたくもうとましくとも思うジニ。彼女は自分に朝鮮人というステータスを押し付けてきた額縁に入った歴代総書記を憎む。そんな折、テポドンの実験があり、迫害されることを恐れた彼女は制服をワンピースに着替えて学校をさぼる。下校時間になって近くのゲームセンターで制服に着替え直すが、そこで彼女は警察をなのる男に囲まれ殴られののしられ下腹部を軽く触られる。しばらく不登校になる彼女だが、勇気を出してニナに電話すると、彼女はジニに謝る。その日は危険を考慮して全員体操服での登校だったのを伝え忘れたと。つまりその日は自分だけがたったひとり朝鮮人として外に居て社会の感情を背負わされたのだと悟った彼女は革命児になることを決意する。檄文を忍ばせ登校した彼女はみんなに歓迎されるがその決意は変わらない。体育館でのニナも参加する朝鮮舞踊の発表のあと誰よりも早く教室に帰り、檄文を窓からばらまき飾られた二枚の肖像を手にし、止めようとする人々を払いながらそれらもまた窓から放り投げた。北に渡った祖父への手紙のなかで北朝鮮の現状に目を瞑る朝鮮学校の実情と明確な立ち位置を見つけられない自分の心情を吐露して、回想を終えたジニは、ホストマザーの元へと帰り、社会のゴミであれ一瞬でも私は輝けると言い彼女の胸元でなく。
長くなってしまった。僕にはあらすじをあらく伝える能力が著しく欠如している。しかしぼくが珍しくあらすじを全部書いたのは、このよく出来た構成と、いい作品の条件の一つであるあらすじを知ってもなおその価値を損なわない作品であることを伝えたかったからだ。
まず最初読んでいて、毒々しく偏見に満ち溢れた死すべき僕は、海外留学生の挫折か、こんなんようあることやんけ、自分を特別視したらあかんで、などと大評論家様気取りで大股あけっぴろげて読んでいたから本当に死にたくなった。ジニは自分にしかできないことをやってのけているのだ。彼女は朝鮮学校に入ってすぐに自分へこう選択を迫る。自分が先に大人になるかそれとも子供のようになるか。言葉を発せない彼女は学校にあって子供でいることしかできなかった。しかも当初なんのためにあるのかわからなかった冒頭は、まさにその暗示だった。あらすじではあえて飛ばしたが、冒頭はおそらく知的障害を持っている生徒ジョンが、ウサギの解剖図を見たことをきっかけにひっくりかえって泣き叫ぶのだが、他の生徒達は気にも留めない。ひとしきり泣くとジョンはもう泣かずにウサギの解剖図を見ている。彼女が葛藤しその葛藤を受け入れるという王道のような小説の展開に呼応したすばらしい冒頭だと思う。
これはまた「杞憂」という言葉とその故事にも対応している。絵本作家のホストマザー、ステファニーが思いつくままに書き散らす絵本のモチーフのなかに、空が落ちてきたらどうしようという問がある。この疑問がアメリカにいる彼女を捉えるのだ。しかし彼女はその落ちうる空を受け入れるのだと答えを見つける。杞の人が天の落ちるかもしれないことを憂いたのに列子が、そういうことを気にしなくなれることが重要なのだ、と説いている。これは単に杞人の憂いを馬鹿にしているのではない。その疑問を正しいものとしてみている。常識に疑問をいだき、なおかつそれを恐れないでいられるようになることこそ重要なのだと、それを見事に作者もジニに悟らせている。
本当にむかつくことだが、とある人種問題でホットな議員がこの本を手にとったことをツイートしたために反対勢力のネットでまとめられてしまった。僕は表立って政治的主義を出さないことにしているから別にどっちの肩を持つわけでもない。ただこの作品が否応なく政治的批判をうけてしまったことに憤りを覚えるだけだ。しかも作品がその議員に気にいるわけでもないのがわかっているだけに余計にむなしい。もちろん保守的な人にも革新的な人にもちゃんと分けて考えている人もいるに決まってるけどそれ以上にやっぱり政治的な思いが強すぎる人にありがちな反対側の意見を持つ人を人と見ないような意見の方が目立つし、インターネットで目立つことはそのまま発言の影響を強くする。本当に悲しいのです。彼女が描いたことは進歩的ではあるが、左でも右でもない。そのために余計に左からも右からもこころないいわれないそしりを受けそうで本当に本当に憤るのです。
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