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私小説は空想的虚構的装飾を排して物事のまさに真実だけを描くことを命題としているようだが、とはいっても小説家はジャーナリストではないから、どうやっても自己の観点から物事を形容し抽象化し虚構的性格を足すことをやめられないと僕は判断している。現実の生活に時折ちらつく小説的要素を故意につなげて、星座のようにひとつのものとしてみなしている作者および読者の眼がある以上、作者の経験したことが自伝的性格を乗り越え私小説になるのだと思う。
しかしその範疇からはずれていて虚構的性格を持たず自伝でもないこの作品は’私小説ではなくエッセイのようなものだと書いてから、ちょっと気になって調べてみたら彼のエッセイはみんなこの文体だったのでどうも本当にエッセイだったようだ。なんかすかされた気分だ。
とりあえずフリージャズと猫は最も性格が合わないだろうなと思った。気の強い者同士を同じ部屋にいれるようなものだ。フリージャズなんてセシル・テイラーとかアルバート・アイラーとかアーチー・シェップとか少し外してるぜな人しか聞かないしそれ以上はわからない。コルトレーンのアセンションなんかちっともわかんない。友達に音大のジャズ科を出たゴールドコーストで賞を総ナメにしてきた人がいて彼にフリージャズを聞くのと尋ねたら「聞くよ、自己満足につきあう感覚だけど。毎日はつきあえない」という。なるほどと思ったど同時に保坂さんは変わっているなと思わざるをえなかった。
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