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群像グリム童話集

僕が群像を読み始めた一月前の号には現役作家によって書き換えられた御伽草子が絵本として掲載されていたらしく、読み始めのタイミングが少し悪かったかと思ったりしていたが、それから一年後の今回、現役作家によるグリム童話集の翻案が行われた。
郵送で届いた本を開いてまず感じたのが、まさに絵本の匂いだった。普段よりも上質なインクと紙の匂いがページをぱらぱらとやるたびに香って懐かしい気分になった。まさに子供の頃図書室でめくった絵本たちの匂いだった。絵本を読み聞かせる保母が乾いた指先でページを捲るたびに鳴る紙のこすれた音も思い出して懐かしかった。人が本好気になるきっかけとして変わっているかはわからないが、僕の場合は本の匂いがすきだったからだ。じつは古書のかびた匂いが一番好きなのだがそれはさすがに本題と関係がない。ぼくは元来本を読むのは嫌いだったが、それでも幼いころの僕が本を読んだのはインクと紙の匂いがページを捲るたび風にのって立ち上るのをかぐことが好きだったし、それが僕のグリム童話への記憶に直接つながっている。
しかもこれは単なる現代語訳ではない。作家による翻案だから、現代語にしても物語に違和がでないかなどはまったく問題ではなく、作家がグリム兄弟の想像力を起爆剤にして個々人の自由に想像を打ち上げるところに試みの面白さがある。
村田喜代子、長野まゆみ、松浦寿輝、多和田葉子、千早茜、穂村弘といった作家たち、恥ずかしくも千早茜というやたら綺麗な名前の作家はこのたび初めて知ったが、どれも自分の個性をゆうゆうと伸ばしているように感じた。
グリム童話からの翻案をするにあたって筋書きだけでなくやはりその教訓譚的性質や、子供に読ませるのに現代ではいささか抵抗されそうな残虐な描写、そしていつも匂わされている性的な気配などを作家たちはちゃんと踏襲している。僕はとくに村田喜代子による「手なし娘協会」における手なし娘たちが海岸で奇跡によって生えてきた自分たちの腕をいちど捨て、全員でもう一度その再生を行う場面が気に入った。アニメートされたように腕が花咲く場面は印象的で、翻案を通して表現される作家の自由な想像力をあますところなく再現していたように思う。じつのところ、ぼくは女性の身体において腕があるいは一番好きな部分だといえるくらいで、イラストにあった肩から腕のない娘はまさに不憫なものだと思っていた。すらりとのびたきめ細やかに光る腕はただでさえかよわさとはかなさをその体の中で一身に背負っていて、ふっくらとあたたかい母性的な胸とは対照的だ。母性による腕の再獲得、女性性の回復は権利と自由を求める現代に強く呼応できるものになっている。また、何度でも腕を再獲得する祭儀的な結末は何度でも喜びを噛み締めたい女性の感情をあますところなく表現している。とてもいい作品だった。
このような企画を次にもやるとするのなら、今度はどこからの翻案になるだろうか。イソップ物語はすこし難しそうだ。
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