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はじめぼくはこの「ポロポロ」という表題と、表紙の行軍にうんざりしている絵で、行軍の不平をぽろぽろこぼしているような作品なんだろうかと思い込んでいた。梅崎春生的なやつなのかなと勝手に決めつけていた。そうじゃなければ野間宏的なものかなどと予想していた。まったく僕は先入観の塊の馬鹿でくたばるべきなんだなと読んで数ページで思い知らされた。この表題作「ポロポロ」が含む二重の意味の一つしか見えていなかったことに驚いたと同時にこの作者のおっとりとした語りに潜む、淡々としたものの見方に魅了された。

表題作以外は戦争中に中国で遭遇したエピソードを語る形式で出来上がっているのだが、それらはすべて主人公がどれだけやる気がなく、使役と病苦にひいひいしながらも自分だけが生き延びて他の死者を見てきた眼になっているのだが、他にもありそうなそういった戦争小説とまったく違うところは、先にある作品「ポロポロ」によって彼の心中が語られているからだ。彼はしかし自分が経験した戦争の哀しみを、他のひとびとと同じようにぽろぽろこぼすことができずに、物語ってしまう自分を嫌っている。彼は作品内で繰り返し物語を否定している。物語ることで読者にはより心にくるように出来事を伝えられても、そこで語る戦友たちの死は再現できず、にせものになっているのだと、彼は強く主張する。物語は経験を伝えるおそらくもっとも効率のいい媒体かもしれなくても、それでも経験そのものとはイコールにはなれない、その彼の主張が彼の経験をより悲惨なものとして僕らの眼にうつる。

「野火」や「日の果て」「真空地帯」を読んだ時にも戦場のつらさ、軍隊の非合理的性格に衝撃をうけ憤ったりしてきたし、戦争映画でもその恐ろしさを感じることはできたが、それなのにそれらの作品以上に、この短編集を読んでぼくは心から戦争というものを恐ろしく、避けるべきものとして感じることができた。主人公はどの短編を通してもずっと赤痢で下痢をし続けているだけなのに、砲弾で四肢がばらばらになったり、銃に頭を撃ち抜かれたり、捕虜になってなぶられることもなく、ただ初年兵が行軍しその過程で病気をし、他の病死者を見てきただけなのに、それら他の名作にあるような心理的葛藤などを飛び越えてこの作品がぼくの胸に刺さったのは、作者の真摯なものがたることへの態度と、そんな彼のめざすポロポロの精神にあるのだろう。
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