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岡田利規「部屋に流れる時間の旅」
過去の演劇は舞台を一つの現実世界として観者にみなしてもらうのを要求してきたが、小説や映画によって肩身が狭くなってからは「舞台」という「みせかけ/みなしをいくらでも行える場所」として再定義されその新たな可能性を見せているのではないか。小説すらまったく詳しくないのに戯曲はさらに無知なので勘だけど。
時間と空間を超えられるものとしての演劇の特性を活かした当作は、隔たった空間と隔たった時間を同時再生している。主人公である一樹は妻であった帆香を震災数日後に喘息の発作で亡くしており、一年後の現在、気になった女性ありさを自宅に呼び出している。一樹は現在であるありさと過去である帆香のふたつを繋いでいると同時に、震災の時間に縛られたままでもある。ありさと互いに惹かれ合いながらも過去から話しかける帆香の声が聞こえている。震災後急にいきいきとしだした彼女の存在は冒頭に感じる印象からどんどん遠ざかって少し恐ろしいような雰囲気を持ち始めるがあくまで霊的な存在のように一樹へ悲劇があったゆえの希望を語りながら退場する。
同じ新調に掲載された奥野修司のルポルタージュに被災者の霊体験が取材されているが、そことの連絡があるようで興味深かった。霊体のようなものがあるかどうかは別として、実際にそれを感じた遺族たちがいる。もちろん科学的に見ればいつだって申し訳なく思うのは死者ではなく遺族たちであり、自分が生きてしまったことへの赦しを求めている。彼らは希望が必要であり、その死者からの赦しこそが復興への希望そのものであることにほかならない。ついこのまえに滝口悠生が葬式を未だ死んでいないもののための儀式だと描いたように、死者からの声は、その死を受け入れられたものへはじめて響き出す希望のささやきであり、再起へのスターターピストルだ。

スターターピストルって世界一平和な銃だね
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