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いい物語は常にいくらか非現実的でないとならないと思う。良い物語に「こんなことは現実には起こりえない」とつっこむのはお門違いもいいところだと僕はかねてより信じていた。ありえることしかない物語は面白くはない。その思いをより一層強く確信させてくれた小説だった。長かったからつかれたけど。15歳の少年セオが母とともに行った美術館で爆弾テロにあい母を失う。美術館から脱出する際に近くにいた老人に一つの指輪と壁にかかっていた一枚の絵画を渡された。カレル・ファブリティウスの名作The Goldfinch.それをめぐって彼の数奇な人生はすすみはじめる。値段のつけられないほどの絵画の名作を隠し持っていること。それが底に流れているだけでまったく普通の物語でなくなってしまう。
数奇な物語は常に語られるべき価値がある。思想や主張をもりこむものでなく、数奇な物語であることが小説の第一条件なんだと僕は思う。思想や主張などは他の媒体でもかまわない。もちろんそういったテーマや数奇でないものなどをどうにか小説にしようとするのも小説の枠と可能性をひろげる大事な試みであることがわからないわけでもないが、それはどちらかといえば内輪的なもので、あまねく人々を惹きつけ魅了するものとしての昔ながらの物語、世代を超えて語り合えるものとして数奇な物語はいつだって必要だ。
この小説にあってはその数奇さは能動的であり、かえって主人公はほぼ受動的な存在に甘んじている。物語冒頭のテロによって母親を失いトラウマを抱える彼は世界に対して被害者でありそこからの回復が主題であるため(またその回復のために芸術や人々がどれほど重要かが主題であるため)彼は物語に対して働きかける動機をほとんど持ってはいない。父親に連れて行かれたラスベガスからニューヨークへ帰ることや大学に飛び級入学することなどくらいだろう彼による動機は。もちろんそれだけでも十分すぎるくらい常人ならできないことであり世界に対しての被害者である彼の逼迫感にあふれている魅力ではあるが。特によくある数奇な人生ものの物語が陥りがちな勧善懲悪の落とし穴をなんとか避けようとしているのがいい。この作品にあっては主題である芸術がそうであるように善悪は対立しておらず、善人が悪い部分を時にもち、悪人にも善い一面があるし、主人公もまた芸術を理解し多くの人に愛される人間でありながら薬漬けだ。すぐれた芸術作品はモラルを超越し新たな基準を作るための礎になると僕はいつも思っているがまさにそう確信させてくれる頼もしい大長編作品だった。長くて少しつかれたけど。
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