阿部和重=現代文学という認識が僕のなかで勝手にできあがってしまっている。蓮實重彦と仲いいからなおさらその認識が強くなって読む前から「現代文学なんやろうな」と身構えながら開いて、「これが現代文学なんやな」と合点している
饒舌であり暴力的であり性的であり本筋が茫漠としている。
そこには明確な物語の進行がないのにもかかわらず、なぜだか面白く読んでしまう。それはおそらく虚構ではあるからだろう。だろうというか、物語成分が薄いぶん虚構性が際立っている。虚構がゆれるのが作品に面白さを与えている。
文庫中一作目、表題作である「ABC戦争」は部外者である第三者がさまざまな話を聞いてまとめる伝記的小説を気取りながら高校の不良間で起きた戦争のあらましを語り部は全然まとめられない。冒頭のトイレの落書にあったYAMAGATAと山形の記号的対比によって小説が象徴的に進行していく宣言をしつつ二大不良勢力の抗争に半ば強制的に参加させられとまどい暴走する弱小グループはどこかの国に似ている。
二作目の「公爵夫人邸の午後のパーティ」や三作目なども虚構のつながりは強いのにそのつながりがどのようなものなのかがさっぱりわからない。しかし描写のひとつひとつがとても映像的で印象に残るのは映画に詳しい作者のもつ魅力の一つであり、筋を持たない物語を無理矢理に推し進める原動力でもあるし、横光利一が好きな僕にはそういう映像美でゴリ押しするのは大好きなのだ。もちろんセーラームーンや幽霊による憑依にはちゃんと象徴的な意味があるのだろうが、読んでいた時のおばかなぼくちんにはわかりませんでした。でもおもしろかったです。
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