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実体験を過剰にありがたりすぎるのは日本文学の悪しき風潮だと僕は思っている。また小説という芸術をなにかドキュメンタリーかなにかと勘違いしているんじゃないかとも考えさせられる。小説家のいちばん優れていて美しい部分は、想像力と詩情で自分から遥かに遠いもののそばにも立つことができるところにあると僕は信じている。
まったく経験していないことを想像力と下調べによって描き切ろうとする作家らしい作家高橋弘希がこのたび書いた短編は、三木卓の名作「震える舌」を思わせるものだった。風邪かと思っていた症状が悪化して昏睡状態に陥った娘を別居離婚した元妻とともに看病しながら、弱い自分を自覚し、また妻との共闘的な生活を通して得たもしかしたら戻すための端緒になるかもしれないという意識を描いている。そのなかでも白眉とも呼べる描写は一瞬意識の戻りかけた娘に気がついたのに、直前で声がつまり、なにも呼びかけられなかったところにあるだろう。その場面の鮮やかさはまさに映画のようで実体験ではないからこその鋭さで読者の印象に残らせることに成功している
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