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 詩情をもつ人間と持たない人間は確実に二分される。それは詩を書くか書かないかの違いではなく、自分の意識を言語に変換して言葉にするときに現れる差だ。詩情をもつ人間は二人の人間の間では言語以上に共振されるものがあることを感覚的に自認しており、その「言葉にできない共振」を無理やりに言語で変換しようとしてしまえる人で、持たない人間はその逆で、いわば常套句や定型文というものに縛られてしまっている。

 実際の日常生活、ことさらに社会生活にあっては、詩情がなく、常套句と定型文だけで話すことはその人の生活をより円滑にし他社との衝突を避けられるもので、世の中の多くの人がそのように生きているのは至極当然のことのように思える。だってそちらのほうが実利的であるんだから。
社会が、とくに経済と政治が詩とあいいれないのは実利を追及するかどうかの点において完全に異なっているところから明白だ。経済と政治が強い現代ではあまりに多くの人が実利をもとめ無駄を憎みできるかぎり排除しようと試みている。

 実利にいきることはシステマティックに生きることとほぼイコールで結ぶことができる。しかしシステマティックに生きるということは、つまり自分自身をシステムのフォーマットに合わせて変換することを意味する。システムに対応していないフォーマットを処理することは不可能だ。システムはエラーを起こしそれが排除されることを望む。

 悲しいことにちまたには自己啓発本のたぐいがあふれている。それらは人間のフォーマットを統一しようとする指南書だ。それを読み、社会にもっとも柔軟に対応できるようになるのは、なにかすばらしいものを獲得したからではない。フォーマットにあわせるために自分の特異性をそぎ落としたのだ。実利だけを求めた人間が次第に薄くなってしまうのはここにある。それはプレスにかけられた鉄板のようなものだ。必要な部分だけを残して切り取られわずかに残ったバリもそのうちやすりにかけられ均一な商品の積み重ねが生まれる。工場で大量にうまれるザラコだけが詩情にあふれている。

 詩情というのは決して詩だけを言っているわけじゃなくて、つまり芸術全般を言語による解析に先立って感覚によって咀嚼できる能力の有無のことだ。

 ウディアレンの映画「ミッドナイト・イン・パリ」のなかで主人公の妻の友人が失われた世代がパリに跋扈していた時代の絵画(誰の絵だったかは失念した)を主人公夫妻に解説するのだが、彼はおそらくウィキペディアあるいはウェブサイトで紹介されている作品の解説をそのまま暗記して話している。あたりまえだがそれをウディアレンは否定的に馬鹿にするように描いている。物語のテーマは理想的だった過去に固執しても仕方がないことと現在の自分の感覚を信じることだからだ。つまり僕がここで書いている詩情ある人間が主人公を演じるオーウェンウェルズであり、のちに妻と不倫していた友人が後者の実利的人間だ。
嫁および嫁の両親は完全な成功者で金銭的にはめぐまれているし、彼らを幸福な人々と呼ぶこともできるかもしれない。しかし彼らを真に充実した人間かと言われるとそうではなくなる。

 ただの成功者はシステムに対して自らのフォーマットを変換することに最も効率的に成功した人間だということができる。しかし彼らの存在がむなしいのはほかでもなく、たとえどれだけ無駄を排そうと、生命の存在それ自体が宇宙規模で見てしまえば煩瑣なものでしかないということだ。人が煩瑣な夾雑物にうつつを抜かすことを無駄というのを僕は目にしてきた。つまり彼らは無駄を排したゆえに薄くむなしいのだが、豪邸や高級車や世間的に最も価値の高い人を選べた結果の配偶者などがその人の厚みを増してくれることはない。そこで彼らはフォーマットを変更してながらくたった自分にはもう詩情を獲得する能力がないことに気づいてしまう。そのなかで一部の賢い人間だけが芸術に対してのパトロンとなるのだが、多くはその薄さをごまかしたまま薄くなる方法を子孫へ伝授する。

 決して僕は芸術家の選民意識を語っているわけではない。ただ誰もが成功者を夢見て国民全員が薄っぺらくなろうとしている現状が少し悲しくはある。それなのに人々は誰しも見栄っ張りではあるから自分が芸術を理解しておりただ惜しくも芸術を造形する能力を持たないためひいては芸術家をパトロネージするのだと言ってちゃちでわかりやすく安易な芸術にばかり食いついて、その結果、どこぞの美術大学およびデザイナーというあいまいで無根拠な職業の人々が跋扈する結果となってしまったのかと思うと、現代人はもっと人生における無駄に対して敬意を払わなければならないと思わざるを得ない。

 まあもしかしたらそれだけの余裕を民衆に持たせられない政府が悪いのかもしれないけど僕はあくまで政治には口を出したくない。政治論でことの本質をうやむやにされたくはないから。無神経な金持ちよりもっと腹立つのが世界は政治だけで動いていると考えているようなやつらだ。古来よりずっと人は生活のために生きている。日々の生活と信仰心が民衆だった。宗教の衰退していく現在では宗教はおそらくもっとも典型的な人生の無駄なんだろう。
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