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幼なじみという言葉はその響きの中にある種特別な響きをもっている
同級生などという言葉ではとうてい太刀打ちできないほどの強さでの、ほぼ運命的なつながりと呼ぶことすらできる
しかし、それはコンテキストによって幼なじみがポジティブない見をもっているときに限る
つまりネガティブな性質を持たされた場合、幼なじみは逃げられない呪縛として立ち現われてくる

結婚という制度に疑問を抱いていいるゆえに別姓を支持し届けを出さなかった夫が、仕事でのつながりで知り合った作家、林かさね。
彼女は主人公にとってのかつての親友だった。
「私達親友でしょ」と彼女はいう
彼女は主人公の生活に入り込んでくるが、子供時代の不気味だったころからは想像もできないほどに美しくなった彼女に主人公は恐怖に近い感覚を意識しはじめる

郵便受けにカラスの死体が詰め込まれる音からはじまるこの物語は不快感を世界の中心に据えている
工事の騒音のなりやまない職場や乱ぐい歯で会話のかみあわない男や日本人形のように表情に乏しい子供、冷えてかたまりになった飯、ほぐすためにレンジを使いたければ女子社員のおしゃべりに否応なしにくみこまれる。
笑子という名を与えられながら主人公はあらゆるものから不快感、嫌悪感、倦怠感をおぼえ笑うよりも困惑したり泣くことのほうが多い
その本質からの矛盾が読みてに主人公への移入を不完全にさせる
のちに幼なじみである本名林田累は次第に主人公につきまとい主人公を自分の色に染め始める。また彼女の夫とも林田は仲良くなり、ついにはオランダで認められているという三人婚という形式について言及し、まるでその実現に向けて働きかけていると思えたとき、笑子の嫌悪感は頂点に達する
しかしそれと同時に林田の目的が復讐であることが知れる
その後描写は一旦、記憶と感情の奔流によって破綻し(その破綻の描写は映画的だ)そのなかで復讐の発端もまた発露する。
夫とともに三人婚の可能な現在の家から引越しする準備をし、そのなかで安堵している自分を見出す。
新居に移りやっと楽になる自分を感じるが翌朝、郵便受けに何かが叩き込まれる音がして物語は終わる。

恨みが怒りとくらべものにならないのは、その持続力と、ちょっとした報復では解消されないしつこさの違いなのはいうまでもない。
いじめにしろどんな呼び名にしろ、加害者はよほどの罪悪感をもって行わない限り、自分が恨まれている原因なのだと覚えていないしはなから考えもしない。
そういった感情の欠如あるいは逸脱がなければ行為を可能とさせないからだ。
そもそも感受性の欠如によって行われたことに対して行為者が、のちに感受性を獲得して悔い改めるなんてことがあるのはギリシャ悲劇くらいだ。
笑子は自分のしたことを謝るがそれは心からの謝罪ではない。
今自分の生活を脅かしている危機をとりのぞきたいだけだ。
主人公のような人間は殺されても仕方がないというような態度で謝ってもなお、それは自分自身の受動的性格によるものでしかない。
そして謝ればすべての物事は許され無に帰すと決めつける。
しかし悲しい現実をこの小説は突きつけてくる。
加害者の感受性の欠如によって行為が引き起こされ被害者もまた感受性を傷つけられ感受性を持たない物同士では復讐は永遠に終わらない。
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