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現実に生きて、人々と社会構造的に結び付けられているぼくらはドラマが発芽しかけてもそこへはそうそうあえて足を踏み込まない。
ドラマに必要な葛藤や対立を日常のぼくらは避け続けている。

保坂和志はそういった日常の範疇から善意的なテーマへとゆるかない演繹していく。
しかしそれも非現実な独白でなく日常的な会話のうちに表現する

鎌倉の淡い山海の景色の中で五歳の息子クイちゃんと二人で暮らす主人公が近所の便利屋兄妹、その他みんなクイちゃんをやさしく見つめる主人公にまつわる人々との対話の中で、言語、特に文字を獲得する以前の時期が子供にとってどれだけかけがえのない、その後もう二度といられないものなのかを物語は力説する。

すくなくとも五歳の子供はいつまでも続くわけがない鎌倉での生活を茫漠とした規模の脈絡ない連なりとしてしか記憶しないだろう。
五感に頼りきったために凝視的な好奇心による毎日の冒険の記憶は、どれもとるにたらないような景色なのに、文字習得後の記憶とは比べ物にならないあざやかな色を彼のこころにいつまでも残すだろうことをありありと想像できる、その暖かな気持ちを与えてくれる貴重な小説だった。
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