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ついにニューヨーク三部作の三作目を読みきった
いかにも最終話といった感じの展開が待っていたが、最後はあっさりと、しめやかにその最後のページを閉じた印象をうけた
三部作唯一の一人称視点で話は綴られる
それはつまり過去でしかなかった前二作をうけて、現在的な方向性をもっていることを意味する

ちょっとした批評などを書いて暮らしている主人公のもとにかつての幼なじみファンショーが失踪したという彼の妻からの手紙をうけとる
いくつかの著作を残した彼に代わってコネでそれを出版させ、成功させた主人公は、出会ったときからその親友の妻、ソフィーと惹かれ合いいつしか結婚しファンショーとソフィーの子をひきとり、幸せかと思ったが、自分はファンショーの計画によって生かされているように感じた主人公は彼の伝記を書く名目で、自分を見つけようとしたら殺すという手紙をよこしてきた彼のことを調査しはじめるも、次第にそれ自体にのめりこんでしまう。

物語はやはり前二作と同じように誰かを探偵することになる筋書きだが後半になってリアリティが瓦解しはじめる
前二作の登場人物の名がありえない人物像で再登場し意図的な、できすぎな失敗を目指してファンショーは新たな物語をつむぎだすし、作者とおぼしき主観が急にわって入ってきて三作のテーマを告白してくれる
人が探求するということ
なるほど作者の試みは大成功しているといえる
探究心、好奇心はあらゆる矛盾に勝るものだ
物語に立ち現れる謎に対して主人公が挑む探究心は読者であるぼくらの探究心と呼応し、無理矢理なプロットを通させる
ぼくが長らく感じてきたポール・オースターと村上春樹の類似点はそこにあると思う
物語が内包する「謎」がもたらす魅力に登場人物が動かされ読者もしだいに動かされるプロットに重きが置かれた、映画的展開において二人は共通している

そして小説はすべてがある種不条理な悲劇であるとともに、何かを探求するということは、その被探求物に対して探求する自己が副次的存在に落ち込んでしまうことだ
人は何かを企画し、それを通して自己を乗り越えようとするときにまさに生きる理由を見出すが、棒高跳びの棒が必ずしもぼくらを完全に支えきるかどうかは僕らの信念とは関係がなく、それでもその棒に委ねねばならない不安定さをポール・オースターは見事に浮き彫りにさせた
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