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解体と構築というこの小説。
老害という言葉が「細菌の若者は~」という常套句に対抗できるスローガンとして多用されるようになった昨今。
建前は未来ある若者などといいながら実のところ少しでもいい上がりを決め込みたいとやっきになっている全体としての老人への反発を軸としながらも見事な相互再生の物語となっている。

再就職を目指して勉強する主人公は自身も住む母親の家に寝たきりの祖父をうとましく思っていた。
自分なんて早く死ねばいいと言い続ける彼にうんざりしていた。
しかしふとしたことから、介護しつくして生命力をうばう足し算の介護を知り、自分の再就職とともに彼を安心させ、尊厳のある安楽死をさせてやろうと思う。
そして彼は祖父を積極的に死へ追いやり自身の生を回復する論理を信じ、年金問題、介護者不足を絡めながらそれを正当化する。

自分の若さを確認し構築するため筋トレにはげみ筋肉痛をよろこび、タンパク質を積極的に摂取するのだが、ことあるごとに祖父は死にたい死にたいといいつつも実のところ生へ強く執着しているのを目撃し、どうやっても生きようとしている人間のあつかましさに直面して困惑する。
最終的に起きた出来事により、主人公の認識は誤りであることがわかり、やがて二人のきずなは物理的距離を広げながら以前の形から解体され、より親密な方へ再構築されながらも、死にゆくものと生きゆくものと完全に二分されてしまうところで終わる。

ぼく自身には祖父母というものが、物心ついた時にはほぼ全滅していたから直接にはわからないものの、仕事柄老人と接する機会が多く、見ているともう死支度はできた、いつお迎えが来てもいいなどというようなんに限って長生きするように見受けられる。
そういう意味では「死支度」という本を出した瀬戸内さんもまだまだ生きるだろう、というか彼女を見ているともしかしたら彼女は不死身なんじゃないだろうかと思う時もある。
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