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ネットでは小説家になりたい人々が彼の受賞に発狂しかねないほど罵倒しているところもあるようだけど、しかたのないことかもしれない。
有名だからという理由でアマチュア時代をすっ飛ばせるのだから、アマからプロへ這い上がりたくてしょうがない人には嫉妬しうるできごとだし、テクニックの面で見ればかなり荒削りだ。自分の文体を獲得しているとは言いづらい部分もある。
こういう表現が文学的だろうという先入観があって描写を陳腐にしてしまっているところがある。

しかしその過剰に文学的にしようとしている描写を、吉本興業的あるいは松本人志的表現で繰り出されていく会話文が互いに干渉しあっておこす「ずれ」のおもしろさが、故意か事故か、何であれ生み出されているのは今までになく斬新ともいえる。

物語は端的にいえば青春の蹉跌ものだ。
夢を追うが、叶わないのは僕の大好物ではある。
主人公は先輩の神谷さんに感銘を受け、彼の弟子になりたいと志願し半ば神格化しているが、しかし実際に神谷を評価しているのは主人公だけのようで、その点で周囲との間にずれがあるのがよかった。
筋書きは神谷にこんなことがあってぼくはこう思ったのだったのくりかえしで、村上龍が描写したように、ジャズのインプロを際限なく聞かされている感じはいなめない。
けれどもそれがかえって本来誰にでもある陳腐なものとしての青春がまざまざと見せつけられているのだともいえる。

この小説がもっとも評価されるべき点は神谷が豊胸手術をしたあと、火花をちらしあった二つの火打ち石がもう丸くなってしまったことが、彼に対する主人公の感情が色あせてしまっている自覚が自他ともの失望となって現れてくるところにあるだろう。
そこからの会話文は芸人らしさがぬけて二人の哀れな男が行う小説的会話文となって成立し終へむかわせる。

北野武の「アキレスと亀」のように厳しい芸の世界を見てきたからこそ描ける出口のない夢追い人の沼は他にないものがある。

しかし芥川賞作品とはいえこれは一作目だ。
肝心なのは今後もかけるのかということだ。
同じ話題、同じ世界を描けるのは二作目までで、三作目でどう広がりを魅せられるかが楽しみだ。
これからも書き続けて欲しい。


笑われたらあかん、笑わさなあかん。ってすごく格好良い言葉やけど、あれ楽屋から洩れたらあかん言葉やったな
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