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ぼくはあまり私小説が好きじゃない
私小説は実体験の笠によって他の作家が腐心する脈絡の無さによる物語の自然さを簡単に得てしまう
この小説は私小説でありながら、「私」からわずかに離れ「私の家」について焦点をあわせ、叔父の自殺を主軸に、「私」を含む親族をえがいている
「私」自身が小説内で何度も言及しているように、それはなかなかに悪どく感じられる
しかしその悪どい姿勢が作品に一種のものすごさを与えている
タイトルである鹽壺の匙はいくつもある叔父のエピソードの一つでしかない
東京で挫折して帰ってきた叔父は塩が固まって抜けなくなった匙をとろうと壺を割るが、塩はそれでもかちかちでいつまでも抜けない
家から離れたい家から軽蔑される存在でありたいのにそうはいかず結局、金貸しである祖母に金銭面で頼るなど依存する彼の閉塞感がこのシーン全てに写っている
この小説で特に良いと思ったのはやはり自殺する叔父の死が予め語られ予告された終着点へ寄り道しながら向かう構成
この構成に途中で気付きいつ死ぬのかと読み進めることで読者が作者の悪どさに加担することになる

気に入った箇所
 私が子供のころ吉田の家で呼吸した底深い沈黙。無論、そのうめきにも似た不気味な沈黙を呼吸したのは私だけではないだろうが、併しそれについて語る者は誰にもいなかった。語ることはあばき出すことだ。それは同時に、自身が存在の根拠とするものを脅かすことでもある。「虚。」が「実。」を犯すのである。だが、人間には本来存在の根拠などありはしない。語ることは、実はそれがないことを語ってしまうことだ。だから語ることは恐れられ忌まわれて来た。併し春の日永の午後などに、不意に、言葉にはならない言葉の生魑魅のようなものが、家の中のどこかに息をしているのを感じることがあった。
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