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オーストラリアに住んでいてずっとわからないことがある
どうして人はワーキングホリデーという手段を選ぶのか
それは中途半端な手段だ
ワーキングホリデーに来ている人々は今まであってきた限り、ちょうど二十代の真ん中が多く、次に二十代後半、セカンドビザがとれなくなる三十まで手前の通称ギリホリと呼ばれる人々が占めている
未成年、二十代前半は却って少ない
つまり大学生などの最も長期的な海外旅行に抵抗がないはずの人々が少ないことがずっと不思議に思っている
津村記久子の小説ポトスライムの舟は三十が見えてきた女性が自分の年収とほぼ同じくらいする世界一周をしたく思うのだが、これも似た心理がそうさせるのか
ワーキングホリデーも働けるビザとはいえ、一年のうちでかなりの額の出費をオーストラリアで強いられることになる
安い選択では決してない
鬱屈感だろうか
微妙な年齢がさせる衝動だろうか
吉行淳之介は二十五六の女が一生の中で一番あやういと語っている
長らくあたためてきた海外生活の夢
今叶えなければもう遅い
もしそういう思考の上での選択ならとても哀れではある
ワーキングホリデーで得られる経験なんてものは学生として行く方がはるかにましなほどおそまつなものでしかない
ワーキングホリデーをしてえられるものは、海外へいながら母国語だけを使って生きる方法と、間違った英語でフェイスブックのフィードを汚すだけでしかない
しかし僕は決して日本語を海外で使い続けることに対して否定はしない
オーストラリアでは父母の母国語しか話せない人もわんさかいる
それが不思議でなく受け入れられる国ではある
しかし一年やそこらで帰るのなら英語をあつかえなければ無駄足だろうと思わざるをえない
危機感によって得た一年を、周囲の背景が外国というだけで、日本のどこのリゾート地でも長期滞在すればできるような遊び
オーストラリア人でない外国人と過ごしても浪費なんじゃないだろうか
ワーキングホリデーが行くような語学学校は、言ってしまえばしょうもない
日本で買える文法書と同じ程度の価値がなんとかある程度だ
そこでまわりにいる英語話者でない外国人と友達になって間違った英語に磨きをかけてなんの意味があるのか
日本で高等な英語教育をまじめにうけてから英語以外の分野を学習し、その分野をオーストラリアの学校で専攻してクラスにいる英語話者たちとともに頑張ったほうがまさに交流しているし
帰国後の立場にも役立つんじゃないかしら
もしかしたら現地採用なんてことも
すくなくとも四十代で白人という以外に見どころのない顔のさえないおっさんにクラブで持ち帰られてめだたくみどこりのないハーフを産んで日本の友達たちに「あの子ハーフなのに残念ね」と言われているような悲劇はさけられると思う
ていうか長期休暇がもっと簡単にもらえる社会に日本が変わればそれですむんだよね
一ヶ月休みをとってはなから遊ぶつもりで海外行くほうが失うものはないし
はなから学ぶだけのつもりでいって自分を磨いてくるのもわるくないし
まあつまりワーホリは日本社会が産んだ悲劇の産物ってことね
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