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結婚に意味を見出せないでいて、結婚は必要ないと思う男性が多いという記事があった。
それは当然だと僕は思う。
2ちゃんねるの一般的認知からまとめサイトの氾濫を経て、非リア充の人々、自身で生涯童貞であることを認めている人間が割りといることが知られても、それでも結婚できなかった男よりも結婚しなければならなかった男のほうが多い。
結婚は男性にとってはどうやっても社会的、政治的、道徳的な重きがつよいもので、たとえば愛情や性的欲求においては子供を得ることへの社会的、政治的、道徳的抵抗があること以外、結婚よりもむしろ開かれている。
愛情、性欲それらの表現において男性は社会に対してはばかるところを持たない。
却って、女性の方に立ってみれば、結婚は社会的、政治的、道徳的な重み、子供を得るという遺伝子に根ざした喜びと欲求もあるが、それ以上に最大の違いとして結婚は女性にとって愛情、性欲を表現するうえでの自由をそこで勝ち取ることになる。
もちろんこれは古い結婚の認識ではあるが、いまなおこの考え方にとらわれている女性は多い。
現代の女性は愛情と性的満足とを強く必要としながら、結婚以前の状態で手に入れられるようになってきているし、独身を通すという、寡婦になることに並ぶ女性の最も古くからある自由の道も容易なものになってきている。
一因としてネットワークの普及とそれに伴うソーシャルネットワークの繁栄によって、愛情がその他ハリウッド的なものとともに、個人レベルでマーケティングされるようになっていることがあると僕は思う。
ここからは僕なりのフェミニズム論になってくるかもしれないことを宣言しておく。
世間一般的なフェミニズムとは違うつもりで居たいから田島さんや上野さんとは離して考えてください。
現在はまだ女性の自立は長い過渡期にあって、新しい形と古い形とが同居していて、若いうちに自由でいたはずの女性たちが中年に入ってあるいは中年が見えてきて揺るがない幸福を欲しがり結婚へ焦燥を覚えて男性を求め、現代の男性の消極性に憤慨しているか、あるいは自分の幸福に見合った収入の男が現れないことへの憤慨を見せていることがみられる。
前者は単なる社会的、政治的、道徳的そして出産に向けての充足を求めている点で健全ではある。
問題は後者で、一見おなじような前者と後者には大きな隔たりが在る。
後者が自分に見合った男性を求めるパラメータが高すぎることとその高すぎるものを求めるエゴ。
たとえば今相手がいるにしても、この人よりもっといい人がいるはずだと考えてしまう思考経路に導くのは自由恋愛がはらむ弊害だろう。
たとえばバブル世代で結婚していない女性に収入と容姿で他者を見下しすぎる女性に何人か会ったことがある。
若いうちでの愛情および性欲面での過剰すぎる充足が飽和状態になって食傷し、却って旧式のパラメータを求めすぎること。過剰な人口内での個人主義の飽和もそれを手伝っているとは思うがそれは主題と関係がない。
それまで愛情および性欲の唯一の充足法は結婚しかなかったのに、自由恋愛の台頭によって恋愛においてそれら二つを満たしてきてしまったために、今なお残る結婚という権威を求めることにおいて、恋愛との区別がつかなくなってしまう自体に陥っている。
そのため差異を求めて社会的、政治的、道徳的充足を過剰に要求して自分の高すぎる条件に気づかないまま男性を見下すようになってしまう。
現代の男性が女性からみて理想的な男性を目指す傾向にあるのに対して男性から見た自分を客観化できないでいて四十代女子なんていう言葉を作って無理矢理に自分向きの土俵をつくろうとしていることからも明白。
フェミニズムは男性に対立するように女性が自立を目指した経緯がある。
しかし今の段階では両性の歩み寄りが必要な時期なんじゃないかと思う。
女性が産みたい欲望を遺伝子的に持っているように男性も産ませたい欲望を遺伝子的に持っている。
決して対立するように男性は孕ませ女性は産ませられる図式が通用する時代ではなくなっていく。
だけどその前に、歩み寄ろうとする女性と対立しようとする女性の戦いが起きるだろう。
対立する女性ってどんな女性? 専業主婦になって家庭内で頂点に立ちたがる女性。
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