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他にもいくつか彼女の小説は読んだがこれ一つに絞ります。
いったい誰が読んでもこの小説は不可解だと思われるにちがいません。
誰しも小説を読もうとすれば、はじめのページを開いてからは文章から物語の糸を見つけ出そうとするものですが、僕たちの努力は報われない。
明確な筋がないということを見つけられるばかりだからです。
僕はいつも小説を読むとポール・ゴーギャンの「われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか」のように右方向へ進行する一枚絵が出来上がるのを想像します。
そうするとダリが一番想像しやすいでしょうか、ダダイズムやシュールレアリスム的な不可解な関連を持ち得ない物どもが明けることない闇の路上で干渉しあっているのが描かれました。
「猿山」という終点を目指しながら、とうに到着していたりまだついていなかったり、何度か野宿しながら歩いた距離を帰りはさっさと帰れたり、主人公のミンチェイは一つ一つの不可解な事物に文句を言ってその度に案内人のチェースーイェや父や隣人のヨンチー、その他の人物に不寛容さ不理解を責められます。
私たちはミンチェイの「猿山に行きたい」という目的だけをたったひとつの頼りとして読み進めなければまともについていけません。
そういう意味からも、いわばロストジェネレーション出身であるダリと似ているのは決して偶然の一致ではないでしょう。
時代は違っても作者の残雪もまた青春期を大文化革命という喪失のなかで過ごし、社会、事物を認識するうえでの根底を揺るがされています。
一度揺らされた観念のゆらぎは収まることを知らず強大なエネルギーとなってこの不条理な文章世界を才能の力技で読ませているのでしょう。

気に入った言葉(違う中編からではありますが)
「これは存在する!」
 叫んだ後、また自信がなくなり、心配になった。なぜなら、その存在するものは決して彼に落ち着きを与えることなく、彼の生きる拠りどころとなるもの、たとえば時間割や仕事の進度、技巧や方式、人との付き合いといったものを不断に奪っていくばかりだからだ。「痕」より
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