この小説が僕を惹きつけたのはもちろん僕がハーフであるからに決まっている。
やはりそこに何かしらのこだわりを持ってしまう。

オーストラリアに住んでいて、日本人に合えば一定の割合で外国人男性と結婚した日本人女性に出会う。
そのうちのどれかが僕の母親であり父親だったんだろう。

離婚して子を連れて帰るのはあまりみない。それはもちろん僕が日本にいるわけではないからだが、いくらでもいるだろうと思う。僕はずっと言葉の壁はそうそう乗り越えられるものでないし、迂回すればろくなことがないと思っている。

小説においてはハーフであるという事実がそこまで重きを置いているわけでもない。
基本的には奇異の目で見られ、そして天使のような顔で子に人智の外にある印象を足すための要素として存在している。

自分自身、障害を持って生まれた我が子、九年前に旅行をともにしたみっちゃん姉という女性、入院しているその息子を中心に、九年前と現在を行き戻りしつつ物語は冒頭で示された祈りへ向かって進んでいくが、「祈る」という行為に主題が置かれているのは明らかだ。

祈りは献身の最たる象徴だ。自分が何かに愛情を持つ時に、その対象を自分より上に置いている時に抱く感情が献身の心だ。主人公の女性は健常者らしい協調性を見せず動かないか暴れるかしか知らない子を明らかに自分より上には置いていない。おきたくてもおけずにいる。自分自身への憤りと周囲の自分へ対する見方にたいしてのいたたまれなさがそうさせずにいる。現実を受け入れられずにいて悲しみすら理解できずにいる。
しかし自分が紛れもなく子供の唯一の母親であることは強く認識していて、たとえば父親が子を扱いかねるのをみて、あえてしばらく様子をみていたりする。

女性が自立するには、男性が自立するよりも、多分に家が絡みついてくる。それが時に外地での奔放さへ反動としてあるように思う。若い女性には多大な共感を持って読まれるんじゃないかしら

気に入った言葉
母が子を捨てようとしたのではない。一人になりたかっただけだ。
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