推理小説において、文学性をもっているものはあまりない。
多くの人が思う疑問かもしれないが、小説においての文学性とは何かというと、ざっくばらんに言ってしまえば、エンターテインメント性以外で面白いと思える要素のことだ。
血湧き肉躍るアクションでも感動する死でもないのにいつまでも印象に残る情景のことだ。
基本的に推理小説はどうしても人が死ななければならない。
そしてその死が誰かによって咀嚼されるものでもない。
その死に付着した謎だけが解決される。
それを超えてなお陳腐さを乗り越えて文学性をもっているものは多くない。
レイモンド・チャンドラーが描いたこの小説は、推理小説として決して優秀とは言えないのかもしれない。
謎はすべてが解決されるわけでもなく解決された際のカタルシスも大きいわけでもない。
しかし毎年幾千と書かれ幾千と忘れ去られていく他の推理小説とは裏腹に今もなお再販され読み継がれているのはなぜか、そこにはひとつの生き方が示されているからだ。
生きているから考え方があるのでなく、考え方があるから生きている。

現代は富と権力をもつ人間ともたない人間が混在してひとつのところに生きている。
物持ちは城にのみ住んでいる時代ではなくなって、持たぬものの嫉妬と持つものの無視が渦巻いている中を僕らは闊歩していかなければならない。
その中で僕らが受け入れるべきことは出来事をすべてそのままに受け入れて、それが自分にとって興味深いか煩わしいかで判断して、都会の中にいながら世間との距離を保つという、成り上がりだけを人生の糧とする人々へのひとつの提示がこの小説にはある。
そして筋もすばらしい。
この生き方そのものである探偵フィリップ・マーロウと彼に関わる信条をもってそれに沿って生きる人々、そしてエンターテインメント性も持っている。
それは生きる上でするあたりまえのことを飲食して眠り、人を愛して性を交わす、そこに信条と叙情の色を加えて強調された映像のことだ。

気に入った言葉
"A half-smart guy," she said with a tired sniff.
"That's all I ever draw. Never once a guy that's smart all the way around the cousrse, Never once."

What did it matter where you lay one you were dead? In a dirty sump or in a marble tower on top of a high hill? You were dead, you were sleeping the big sleep, you were not bothered by things like that. Oil and water the same as wind and air to you. You just slept the big sleep, not caring about the nastiness of how you died or where you fell.
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