上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
 人生で最初の思い出はマーブルだった。大きな白いコンテナに水を張ってそこに種々の絵の具を落とした。鮮やかな煙が刻々とくゆるみなもに画用紙を浸してそれがそのまま僕の作品になる。よくできたねと保母に褒められたが面白くなかった。
 東福寺保育園には幼児にはとても大きくてどこかよそよそしい伯父のようにふんぞり返る大木の下に土管が通っていてそこをくぐるのが大好きだった。ある日いつものようにそこをくぐるとき土管の中のほんのちょっぴり尖ったセメントで腕をひっかいてしまった。僕にはとても痛かったけど血が出るところかすこし皮膚が白く筋づいただけだった。大げさに痛がって保母さんに絆創膏をはってもらった。その絆創膏が気に入って、もっと貼ってほしくて今度は土管に腕をこすりつけながら通った。暗闇を抜けて太陽の橙色の光に晒して傷ついているのを見るとうれしくなって保母さんに見せてまた絆創膏を貼ってもらった。四回目にはついに貼ってもらえなくなった。
 母さんに迎えに来てもらう前にもう名前が思い出せない近所の友達に、りんごって英語でなんて言うか知ってると聞かれた。思い出せなかった。アップルやで外人やのに知らんのおと笑われた。自分は日本人なのにどうして外国人だと期待されなければならないのかわからなかった。
 任天堂の旧本社の近くでトイレに行きたくなってそこを訪ねて借りられないか頼んだら断られてバレないように庭の園芸品に小便をかけてまわった。
 キラキラ光るポケモンのシールが手に入って嬉しくて枕元に置いて眠った。夜中に目覚めてシールを見てみたらそれがなくなっていて光っていないシールしか残っていなくて絶望する夢を見た。朝になって即座に確認し安堵した。
 父がバイクで事故ったといって血だらけで帰って来た。病院には行かなくて不思議に思った。十年後にやくざと喧嘩をしたことを知った。
 日赤の方から東福寺へ向かう方の道を通るといつも大きな犬に吠えられてその道がいやでしかたがなかった。
 給食の時間のあと、お菓子をひとつ貰える。箱に手を突っ込んで一つ取り出すと、そこに赤い印がついていてもう一つ貰えることになった。喜んでいたら、それは園長先生のところに貰いに行かないとならないらしくて、とたんに嫌になってしまった。知る中で唯一の男性教諭で苦手だったからだ。嫌々園長室に行ってもらえたのは大嫌いなウエハースだった。食べなかった。

 いまはない修道小学校の入学式。名簿順に並ばされると後ろにいたリキトとアヤカに外人だとちょっかいを出された。うっとうしかった。その時の僕は100%日本人のつもりだった。
 初日だったか、ナナと柔道の話になった。山嵐をしようと腕を引っ張ったら泣かれた。
 授業中、リキトが僕のことをアメリカ人だとかインド人だとか呼んで土井先生が彼はオーストラリア人ですと怒った。僕は日本人だった。土井先生はリキトに謝らせたけど僕は謝られるのが嫌でしかたがなかった。僕を間違った人種として呼んだことについて謝られても僕がどんな人種かは解決していなかった。
 学年に1クラスしかない番組小学校だからガキ大将は一人しかいなくてそれはタカヤだった。タカヤを先頭に部下達がその後ろに電車ごっこみたいに並んで学校中を練り歩いていた。おまえも仲間になるかと言われそれが友達を作ることなのかと思って一番後ろに並んだ。すぐに飽きてしまった。 小学校には総合遊具があってある日ケンタがそこから落ちたらしい。僕は現場をみてはいなかったけれど犯人は誰かというのがもっぱらのクラスの話題だった。後日見たケンタは漫画のように眼が青くなっていた。そもそもあんな危ないもので遊ぶからだと思った。滑り台のある三段目に登ると足がすくんだ。
 花壇には小さな池があってある日そこを何人かで眺めていると池に突き落とされた。池から這い上がるともうまわりには誰もいなくなっていてひとりでずぶぬれで帰った。帰路ではじめて視線の痛みを知った。怖くて翌日は学校を休んだ。
 好き嫌いが多くて魚が苦手で、給食で食べられないのがあると給食袋に包んで帰り家で捨てた。給食袋はいつのまにか魚の臭いがこびりついていた。食べる努力を促してだめなら通信簿にでも書けばいいものを、食べ終わるまで立たせない教師は品性のない人間がする仕事だと思った。
 宝島についての作文をすることになった。島には一つだけ何かを持ち込んでもよくて宝を見つけるまで書き続けろというものだった。僕の人生ではじめての小説だったかもしれない。めんどくさくてダウンジングを持ち込んで原稿用紙一枚半で終わらせた気がする。漢字をあまり知らない小学生の作文で原稿用紙一枚半はそうとう短いと思う。アヤカは僕がしるかぎり四十枚を超えていてむしろ宝物をみつけようとしてないのかとさえ疑った。
 十歳の誕生日にオオマツやオオツキを呼んで自宅でパーティをした。生ハムのうまさを知った。生ハムをコーラにつけて食ったオオマツにはひいた。その夜、内蔵が燃えるような痛みに襲われた四十度の熱にうなされて何度も嘔吐した。腸液そのままのような大便を漏らした。四日間うなされて感冒薬が一切利かずしかたがなく病院へ行くと、即日入院させられた。採血の注射に泣いてさらに点滴もすると笑顔で言われ看護婦に殺意を覚えた。しかしその点滴のおかげか翌日からは熱は幾分下がった。嘔吐は止まなかった。薬を飲むだけでも吐いて、ついには口を思い切り開かされて嚥下しないように注射器から勢いよく薬を注入されたり座薬をいれられたりした。一向に改善されなかった。嘔吐感が隣人の日々だった。改善されない症状に業を煮やしたのか、CTスキャンにかけられた。しかしなにも発見されなくて、造影剤まで注射されて検査された。またその注射針が大きかった。
 やっと肥大した盲腸が見つかった。緊急手術することになった。三日間の絶食の後、車いすで運ばれるとき生腐れの老人のフリをして楽しんでいた自分を見つけた。診察台にねかされるともう意識がなかった。
 気づけばもう盲腸が取り除かれていた。下腹には十二針の傷跡ができていて貫くように痛かった。
 しばらく尿がでなかった。尿意でもう膀胱が痛いんだけれど一滴も出ない。出ないと尿道にカテーテルを通すと言われ泣きながら気張ったが努力もむなしく管は管へ突っ込まれた。人生最大の痛みだった。看護婦が鬼に見えて仕方が無かった。看護婦死ね。生ハムも死ね。十歳の誕生日関係するもの全部死ね。と何度も思った。小学生の時分は死ねという言葉しか知らなかった。今でもなぜか生ハムは食べ過ぎないように気をつけている。
 強制断食はまだ続いた。有料のテレビで見た料理番組でやっていた角煮ラーメンの脂身に泣いた。その翌日、ようやく鰹出汁のすまし汁が出て、泣きながら飲んだ。それ以来すまし汁は好物の一つとなった。
 五年生になってミヤガワが転校してきた。調子者で甘い顔で物知りですぐにクラスの中心になった。そんなミヤガワはクラスの男子にゴムというものを広めた。それはセックスというウンコで笑う小学生が顔を赤らめる響きをもつ行為に関係しているらしかったが、ミヤガワも詳しくはしらなかったようで、陰茎をゴムで縛って白いのが出ないようにすると言っていた。なんとも痛そうだと思った。
 ツジというのが五〜六年生の間の担任だった。自称子供の気持ちがわかるらしかったが、彼の知る子供の気持ちなんて僕らのなかには存在していないように思えた。事実僕は初代ウルトラマンの良さを語られても理解ができなかった。また彼は意味の分からない時間割を作らせた。画用紙を半分に折り畳んでそこに時間割を貼ってゆき、一日五つ、その日にやった学習的なことを書いて、ついでに日記もかけというものだった。楽しかったことについて書くと怒られた。塾に行ってる奴は塾に行ったの一言で許された。教育ママにこびるような教師だと思った。また女生徒には鼻の下を伸ばしていた。
 総合遊具で男子達で遊んでいた。そこで鬼ごっこをしているとミヤガワが足をすべらせて落ちた。気持ち程度のクッションのついた地面に叩き付けられる前に遊具の、ジャングルジムでいうところの一段目で顔を打ったのを見た。地に伸びたミヤガワはすぐに顔を押さえて立ち上がった。そしてなにかをうめいたけれどそれは僕に声としては響かなかった。彼の口からなくなりかけの水性絵の具のように血がねっとりと落ちた。僕は教師を呼ぶ訳でもなく彼にかけよるでもなく、ただただ驚きにまとわりつかれていた。
 数日たってわかったが、あの食紅のような血は鉄棒によって上あごに食い込まされた彼の歯茎のまず滴ることのない血だった。やっと学校に帰って来た最初の日、彼の口をみたが、前歯がどこにもなかった。しかしいつのまにか彼の前歯は元の位置へと戻っていた。
 高校の学食がラーメンだと聞いて西京中学に受験しようと思った。本当にそれだけが目的だったので当然受かる訳も無かったし、それどころか受験中にめんどうくさくなって腹痛を訴えて保健室へと行かせてもらい、そこで保健の先生と雑談して帰った。
 卒業式の朝、同級生のモリオカさんと同じトロッコに乗る夢で目が覚めた。ひどくどきどきしていた。卒業式の後、クラスのみんなが泣いていてここは泣くところなのかと思って泣こうとした。でも泣けなくて、母さんが死んだらと考えてやっと泣けた。そして多久は目覚めた。月明かりが自分を包む闇にわずかな青みを与えている。寝室には夜の色と音が満ちていて不満をえさに生きている自分がいた。もういちど生まれるなら美幸として生まれたかった。隣で生まれおちたままに眠る美幸の青白い肢体はおもてをむいていた。鼠蹊部にある傷を上から下に多久の銀色の指がつたっていった。
関連記事
スポンサーサイト
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。