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善人であることと悪人であることと、どちらが難しいかといえば悪人であることです。

平たく言えば善には型がありまして、その国の道徳観や習慣から外れないように勤めるのが、善人でいるということなのです。
それと比べて悪には千差万別の色がありまして、盗む悪人もいれば捨てる悪人もいます。殺してしまう悪人もいれば生かし続ける悪人もあって世の中少なくとも男にあっては悪人の方が魅力的です。というのも悪人のまま優雅に生きるには善人でいるより知恵がいるのです。

僕は常々思っているのですが本を読めない人間は頑固なほど善人で馬鹿なのです。いえこれは決してけなしているのではなくむしろ褒めているのです。善人でいるというのはなんといっても息苦しいことですから。

増して、善人が馬鹿という証拠は彼らが悪人よりも人を嫌う点にあります。
「彼は人に平気で悪口をいうからダメだ。」
「あの子は尻が軽いし不倫をしてのうのうとしている」
「自分で稼いでもいないのに散財するの」
「あの人は人を見た目で判断するからいけない」
「いろいろしてやったのにありがとうの一つも言わないのはどうかしている」
「目上を立てないなどお里が知れる」
どうでしょう、善人の枠のうちから彼らは批判しています。善人という自負があるからです。しかし言っていることは悪口です。どうです、馬鹿でしょう?

それに比べて悪人でいるには一貫性が必要です。
思った事を口にしなければ損ですし、誰にでもやらしてくれる女神のような女を探さなければなりません。
金離れがいい人間からは出来る限り恩恵をうけなければなりませんし、気持ち悪い人からは同類と見なされては困るので遠ざかります。
恩を売れば見返りが来ると思っているケチは利用しなければなりませんし、無駄に年をとった連中は無視しなければなりません。

善人とはどんな人物でしょうか。彼らは居酒屋で働いています。だいたい週に70時間働いて、生活保護以下の収入に加えて会社から夢と希望を配給されて生活しています。孤独を感じると病気になるので連帯感のあるやかましい職場で死ぬほど働く方が本望らしいです。味や品質よりも夢や希望を売りにしている職場で恋愛をします。善人は善人仲間が欲しいので同じ様な境遇のあんこの代わりに夢と希望が詰まったアンパンマンみたいな人と恋愛をします。
人は母胎から生れ落ちる時、二人から一人になります。死ぬ時も一人で死ぬのです。
一人であることが決まっている人生の中で彼らはその摂理が許容できずに当たり前の孤独を寂しい寂しいと嘆いて徒党を組み、組織であるからには規律が必要なので真の善でもない「偽善」を善としてその枠から外れた人を追放します。

悪は個性であり善は平凡です。善によって平凡の枠に囲まれたその内部で善人は個性を追求しますが、ゆで卵の黄身の位置がちがう程度の個性が限界です。
悪人は集団の利点と個人の利点をよく知っています。悪人は悪として過ごした時間のなかで経験的にそれを知りました。その濃縮液が本です。本は根源的に悪です。それ自体がエゴイズムで出来ています。

より効率的に悪として生きるにはまず本を読みましょう。
楽しいですよ。
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