どうせしかたないんだもの。
どんな希望も楽観すらも持ち合わせていない人間はそもそも不満すら奪われているか自分で捨ててしまったのだろう。
彼は何度もため息をつく。
ためいきは、僕はつきたくないものだと思うものだけど、車輪が坂をすべるように落ちて行く気持ちを食い止めるかかとの摩擦であるしそれは再び上昇するためのまさに踵を返す支点だ。

疲れた身体が休まるまえにどれほどの仕事が飛び込んで来ようと、恋人がどれほどあなたの思いが感じられないとわがままを言おうとため息は一日に一回にしておければ人も強くなれるのではと思う。

ため息が過剰であれば、落胆的要素が人の一日で消化できる量を遥かに超えている証拠であるし、歯の摩耗した車輪が空滑りするというもので、どうしようもなく力むばかりでは無益だろう。

川に浮かんでみたことがあるだろうか。
流れに身を任せたときの意識の清澄さを、ほぐれた肉体のなかで肉体の行き先がどうゆくのかとだけ考える精神の軽やかで純粋な緊張を感じたことはあるだろうか。無駄な力はいらず、肉体が上下逆になろうともそれはささいなことで、流れがわかるまで身を動かす必要は無い。
川の形に添って流れのうちで、自分の通りたいところだけを通れるように、要所要所でだけ、この精神のきびす、ためいきをつけばいい。それは一日一日の句点となり、そこから蹴り出す一点となる。

どうせしかたがない状況はせまく抜け道の無い一本道ではなく、あんがい幅があって、案外支流があったりする分岐もあるので、なにもかもあきらめて川のあちこちにぶつかりながら落ちて行くのはどれだけ疲れているからと言っても不様ではないだろうか。
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