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女性が正座している姿を後ろからみて、尻の始まり、つまり腰の終わりから顔出す足のうらが綺麗なうちは、まだ若いのだと思う。

母親になることを望むのはいいことだけど、母親になりたての女性の半数ほどが罹患する「私は母親だから偉い病」はどうにかならないのだろうか。感性が普通の人間だから、今までの人生のなかで自分の感じることが他人と同じことが多かったせいで、自分の感情がそのまま相手も同じだろうと勘違いして、素晴らしいことではあっても既に何万年も僕らに至るまで繰り返されて来た出産の高ぶりも、感じ取ってくれると錯覚するのか。

僕は子供に赤ちゃん言葉などを使う人が嫌いだ。生理的に無理。子供がまだ親の所有下にあったとしても人間は人間なのだから、平易な言葉を使うにとどめるのが一番だろう。子供は幼いのだからそういった言葉を使うべきだと思う人もいるかもしれないけれど、子供は日々幼く無くなって行く存在だ。大人へと日々進むべき刻々と上昇する精神を低く見積もって、「あなたに向って赤ちゃん言葉を使っている私はつまり上なのだ」と猫なで声を使うのは保育士で充分だ。

ニュースで子供の名前が出るときも、「くん」とか「ちゃん」とか聞くとなんだか僕は違和を覚える。もはや全員呼び捨てにしたらいいのに、肩書きだけつけて。

人生はもろもろ。どんなにいいことがあってもいやなことがあっても、もろもろのもろもろ。

現実世界で眠りに落ちると夢の世界で私は目覚める。
夢の世界で眠りに落ちた私は現実世界で瞼を開く。
私にほんとうの眠りはない。
私は現実と夢、二重のまろうど

17の時、生きているのに耐えられない気がして
18の時は忘れたい
19の時にまた楽しくなって来た
20の時に無一文になって
21でまた死を夢見てみる
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