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「いつから吸い始めたんだ」
「15の時に手を出したの。女の子が手を出すものの一つ。男に、彼女が誰も見向きもしないちっぽけな細いからだ以上のものだって見せつけるために。彼女には過去があったんだって。」
「彼女は自分を意識する。そして誰かが彼女を意識し始める。彼女はそのうちの誰かと結婚し、二人は夕食に出かける。」
ドン・デリーロ 「コズモポリス」

これは僕が最近もっとも影響を受けた小説のひとつで、今書いている文章だって多少その影響を受けている。

誰だって他の人と同じなんて嫌だ。だけどその、人と同じは嫌だ違って居たいという願望がすでに他の人と同じだ。その平凡な願望から始まる特別になろうとする努力はそのまま平凡な成功を結ぶのだろう。その平凡は時に「幸せ」と表現されるが、平凡でささやかな成就こそが本人も気づかないうちの幸福なのかもしれないが、本人は自分を特別にしたがっている。自分は「もっと」特別なはずだ。六十億のうちの1だけでなくそれ以上の実質的な数値を持つ存在でいたいこの「もっと」は人間の動力かもしれないけれど、それは無限に続く永遠に満足の来ない階段でもある。

平穏な生活を望む人間と成功を望む人間とそれらを得られないことを悟ったつもりでいる鬱屈したひとびとと。
ポケットや財布に入った金はおびただしい量の金を持った人間以外にとっては具現化された憤りだろう。
ひとびとはコンビニで憤りの端数を合わせて消費している。

ポケットの小銭が、財布の中の紙幣が、クレジットカードに刻まれた情報に連絡した口座に計上される数字がなぜそこまであなたを追いつめるのか。合わせきれなかった端数の鬱憤をあなたは募金する。店員の口にする謝辞にも鬱憤が支払われていた。

鬱憤で買った安っぽい菓子は過剰な糖分で紛らわせるけれど、鬱憤は腹の中へ溜まり、誰かによって支払われた給与より腹にまで至ったそれ以上には循環しない。

鬱憤で買った煙草から舞い上がる紫煙は、それを舞い上がらせる彼女に平凡な幸福をもたらせる分には好いのかもしれない。
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