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だって刹那、刹那の逃避は、永遠に、刹那、刹那の逃避に過ぎないじゃないか!
比留間久夫「YES・YES・YES」

それと同時に時間を永遠のフィルムで切り取って行けば飛んでいる矢は当たらないというゼノンのパラドックスのように、時間の最小単位たる刹那は永遠の時間として引き延ばされて、だったら恐れていた日は来ないんじゃないかという安堵のうちにみぞおちへと突き刺さっている。

刹那刹那の逃避を迫られるのは概して自分が実質以上に優秀で成功を約束されているべきだと考える人間だろう。もちろん誰だって自分をよりよく考えたい。せっかく一度きりのチャンスで生まれて来たというのに、不幸しか待っていないと思われるような状況は避けたいというものだ。

その感情は自然だ

だけど一部の人間はどこかでこじらせたのか。大概の人間がそのような状況を避けるために努力をして自分の強みを矯めて伸ばしているというのに、自分は幸福でしかるべきだと考えて、疑わず、そのままに二十歳を過ぎて、一人の人間としての年齢が訪れた時には、にっちもさっちもいかなくなってしまう。

僕自身、自分を過大評価しているし他人が楽しくて幸せだと思っていることを共感しないことがかっこいいことだと考えている痛い時代もあった。今は今で痛いのはそれはまた別の時代に入っているからだ。僕はできることなら痛い人間で一生を終わらせたっていい。どっちみち死の際で「あああああああ死にたくない」と叫ぶことは変わらない。どっちみち嫌でも何も無い永遠の無存在へ溶け込まなければならないのなら餓鬼のように精一杯抗ってこそ、刹那刹那に逃避するぐらいなら、刹那刹那に何もせず、じっと諦めている方がいい。

その中に諦めたくない物がひとつでもあればそれを掴む方がお利口なんじゃないかと僕は考える。
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