「いいのか、本当に俺でいいのか」
「黙って。だいてほしいの」

遠藤周作「アデンまで」

 読書という行為は趣味であると同時に知性を兼ねているが、結局のところ、読書はそれが必要な人のためのもので、そこにある感受性や教訓やさまざまな訴えかけて来るものも、すべてはそれが必要な人のためにある。
 世の中には本を読めないのをまるで何かの誇りであるかのような顔で言ってくる人間がいるが、彼らは読書による経験をありえないとして認めない実体験のみを真理とする経験原理主義者だ。彼らは数学の問題を前にしてそれを実際に解くことをなぜだか経験と認めない。学校は経験と対極にあると考え、それ故に大学まで進んだ人間は無経験な人間だと信じる。
 それはまあ彼らの人生だから、ゲーテが言う所の三千年の暗闇を、それまで歩いて来た死者たちの残して来た灯火を頑に見ずに愚昧な一寸先は闇の五十年を生きればいいだけの話だ。

 読書が必要な人間は、必要でない人間に比べて自信を持っていないとあるいは定義できる。彼らには様々なことがわからない。そのわからないことをわからないままにしたくないがゆえに真理を探究するために彼らは読書する。自分が信じているものを確かめるために読書する人間もいるが、読者を若い青年にしぼれば、彼らは自信をまだ持っていないと言えるだろう。
 青年には理想がある。理想と現実の違いの葛藤が彼らに読書をうながしている。この一つのダイアログは、下段がついにやって来た理想の現実らしきもの、上段がしかしやはり理想と現実は違うのでないだろうかという尻込みしがちな葛藤だ。

 この作品ではこの後、彼が手に入れた一つの理想的な現実と、それに付随してきたまだまだ理想的でない現実に苦しめられるのだが、それは興味があれば読んでみて欲しい。遠藤周作は筋書きをおろそかにしない人物だったからつまらないなんてことはない。
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