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 高級なたべものなんて知らなくたって構わないという人々がいる。そして大概その理由に二通りある。
1 高級なものを高い金を払って食べても自分の舌にはわからないから。
2 一度高級なものの味を知ってしまったらもう低級なもので満足できなくなってしまうし、そうすれば金がいくらあっても足りないから。

 二つとも確かに真実なんだろうと僕も思う。食通になるというのは男が女に詳しくなるぐらい難しいもので、金もかかるし時間もかかる、感覚は鋭敏でなければならないし、一昼夜で食通になれるものではない。塩化ナトリウム濃縮液の飲み比べをしているラーメン通は別として。
 しかし上記のどちらかを理由に知ることをやめているのもケチで悲しい話でもあるというものだ。
 それら理由は少し道楽に金が強く絡み付きすぎているようにも思える。
 たとえばわかりやすく言えばステーキ肉などは、一枚何千円の世界になってしまえば一万と二万の肉にどのような差があるかなんてわかりっこないとそういう人は言う。けれどもそれは現在の食道楽ビジネスに目隠しされているだけではないだろうか。一万円払えば一万円分の旨味、二万円払えば二万円分の旨味を味わえるけど自分の舌は五千円分以上の旨味は許容量を超えていてわからないから、得でないかのような考え方に陥ってしまっているんじゃなかろうか。
 端的に言ってしまえば娯楽に関するものはセンスのない人間が思っているほど製品化できるものではなくて、例えば時間の贅沢で見ても、手間ひまかけて時間をこれでもかと費やして作ったお菓子も一口でぺろりと胃袋に納められてしまえば消費される時間に対してなんだかあっけなくもったいない気がするが、そういうものだと割り切らなければならない。
 娯楽はしかし探求と表裏一体である根本からの無駄遣いであって、ことさらに料理は人間の欲求と生存行為に関わる以上、前向きで居た方が楽しいよと僕は思う。
 金を費やさなくても時間を費やせば上品なものはできあがるもの。
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