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死にたいと 言う暇もなく 死んで行く 和民亭黒蔵
 三十間近かと思われる男性が祇園四条駅団栗橋付近の出口からすぐそこの公園で、おろおろと吐き出していた吐瀉物の放射状に飛び散り地面に当たる音が美幸にはそう聞こえた。
「そういや美幸ってバイトしたことないでしょ」と楓が言った。楓は露草色のオールインワンをまとって彼女の涼しげに白い肌と細く赤みがかった髪がよく似合っていた。
「私ないなあ、親に養ってもらってるし」と答えた美幸はコーラルカラーの左腕にだけギャザーのついたポリエステル地のワンピースを着ていた。蒸し暑い夜だった。
「それでいいよバイトなんてしないほうがいいねー絶対。みんなバイトするから働くって言葉を勘違いするんだよな」
 二人はそこから、東大路の方へ向っていた。焼肉を食べた帰り、二人で楓の家にて呑み直そうと言う話だった。
「バイトなんて卑屈さ選手権だぞ。生き残ることについては人間は上下しかないこおを学生のうちに気づけるけど見たかよあのゲロってたやつ。絶対あの都市でまだバイトだぞ」と楓は息巻く。
「決めつけるの」
「じゃなかったら芸術家気取りじゃない限り、あの都市であんなに呑んだあと、一人でなんて居ないわ。誰もがあいつを一人にさせたからああなってるんだよ」
「だからバイトなの?」
「目先の金で食いついて生きて、何人か女を手に入れて恋してさ、ちょっと将来考えたふりして、金稼ぐ時だけ上に卑屈になって、そのあと悪態つくだけで清算して大きな苦もなく安い楽だけ大いに買ってきた毒がああやってつけに回って来たんでしょ。自業自得だわ。安いもんは悪いもんなんだから。」
「私にはわからないかな。まだ遠すぎて。アラスカで起きた火事みたいな感じ」
 そして楓の、乱暴な口調の割にかわいらしい部屋にて二人は飲み直すどころか、すきやきを始めた。
「すき焼きっていつの間に高級食になったんだろうなー」と楓が手に持った菜箸で牛脂を、焼けた鉄鍋にじうじうと転がしながら言った。
「高級なの?」
「三条の三島邸なんかすごい高いぞ」楓は馴れた手つきでざらめを撒いてそこに霜鮮やかな肉を二切れ、寝かせた。小気味好い音が鳴った「一口目は肉だけ食べないとな」
「そうね」美幸はじっと肉を眺める。
「だって砂糖と醤油と具材から染出した旨味だけで食べるって言うと聞こえはいいけど、素材なんて無視の濃い味だしな。そこが良いのかも知んないけど」醤油をまずはほんのりと垂らせば爆ぜた音をたて香ばしく香り立った。美幸は待ちきれず二人分の器に卵を割入れてゆるくかき混ぜた。
「食べよ」楓が言い切る間もなく美幸の箸は伸びて焦げ目のうまそうな光沢ついた肉をとらえ手元の卵液の池をくぐらせすかさずほおばった。美幸は味わうよりもアピール重視の女性のように眼を閉じ口を固く結んで顔を左右に揺らしなどしない。黙々と咀嚼し味わって、飲み込むと言った。
「おいしい」
「さあじゃんじゃん行こうか」先ほどの焼肉など食事のうちに入らなかったのか、楓はどこで覚えたのか料理人特有の、指先をぴんと伸ばした持ち方で九条葱、焼豆腐、車麩、糸こんにゃく、そして肉を鍋に、高さをもって敷き詰めていった。京都では玉葱を入れる人も多くいるが、楓は玉葱が食べられないので入れなかった。美幸は玉葱を食べる。
「玉葱は」と不満げに美幸が尋ねた。
「九条葱あるじゃん。葱は一つあれば充分だよ」
「だめ、玉葱も甘辛さの合うお野菜だから」
「私嫌いなの。犬は玉葱食べたら死ぬんだぞ。そんなの人間が食べたらだめだって」
「犬はチョコレート食べても死ぬよ?」
「だから私はチョコレート食べないじゃん」
「チョコチップバニラアイスをデザートに食べてたじゃん」
「あれはチョコの割合が少ないからいいの、致死量超えてないんだよ」
「じゃあ玉葱もちょっとだけ」
「だめ。ちょっとでも玉葱は致死量だから。私をリトビネンコにしたいつもり?」
 ついに玉葱は入れられなかった。彼女の家にそもそも玉葱が存在しなかったからだった。くつくつと煮えて来た。二人は缶ビールのプルトップをひいた。
「テレビ見ようぜー」楓がリモコンを手にとりテレビをつけると、ニュース番組がまだやっていた。眼鏡をしたプロレスの実況アナウンサーが急な円高を知ったかぶって読み上げて、しかし未だに自分が書いたベンゼン環の何が間違っていたのかわかっていないしインタビューする相手に興味がないので曖昧なことしか聞いていなかった。
「チャンネル変えて。肉がまずくなる」と美幸が言うと、楓はチャンネルを変えた。しかしどのチャンネルにしても、もういい加減枕がビール酵母の臭いにしばしば例えられるとある不飽和アルデヒドで染み付いてそうなアイドルグループと蟻のように数の多いアイドルグループしか出ていなかった。
「ねーつまらない」美幸はふてくされた。
「仕方ないだろメディアに居るような年寄りとアイドル目指す十代の女なんて、自分の感性が誰にでも共感されると本気で信じてる点で利害が一致してるんだから」
「やだ」
「だよな、同じアイドルでもビリーの方がいいわ、スタータゲーって言ってるとこしか声聞こえないけど」
「何の話?」
「八十年代と今の象徴の話」
「どうでもいいよ」
「でも数って嫌だよな」
「どうして」
「多数の人がアイドルを好きだからそれが多数派らしくて、だけどそんだけ多数の人に好かれてるもので儲けてる人は少数で」
「それが流行だからじゃないの?」
「単なる流行だったらええじゃないかみたいになってええじゃないか」
「うーん」
「流行を作ってるからこんな風で、流行を作ることだってインサイダー取引みたいなもんだわ。アイドルも自分が売れてることについて尋ねられたら、『聞いちゃったかと言われれば……聞いちゃってるんですねぇ』って答えないといけないわ」
「まあどうでもいいけどね」と美幸はくたくたになった葱をかき集めることに集中しながら続けた。「サイレント・マジョリティなんじゃない?」
「なにが?」と楓は聞く。
「実際に売れてるのなんて見たこと無いけど。売れてることになってるものは、もしかしたらサイレント・マジョリティが購入してるのかも知れない。それか石田衣良か」
「なるほどね」そう言って二人が見たテレビではちょうど特番が始まっていた。題してサイレントマジョリティーを追う。そこではなぜ売れてるのかわからない色々なものが追跡されていた。ワイプではいちいち芸人があらゆる事物に驚天動地の顔をしていた。さまざまなもの、カニエ・ウェストのひさしつきサングラス、誰かとコラボしたルイ・ヴィトン、マイナスイオン絡み、〇〇ストーン、農家の女房のような花柄のスキニーパンツ、エビアンホルダー、「赤ちゃんが乗ってます」シールや、レッドリボンもどきのステッカー、デザインのおしゃれな自慰用具、五本指の靴下、比例代表のタレント議員等等……
「どれもそこまで価値があると思えないものなのになんでみんな買うんだろうな」と楓は言った。
「サイレント・マジョリティだからじゃない。きっと彼らは何かの使命を帯びてるから、表に出ずにああいう価値のないものを買っていろいろなものの価値のバランスを保ってるのかもしれない」
「一定の数の人間がいないと価値は決まらないからなー少数派だって数は数だし、たった一人だと単なる異端だし。たった一人がパール・ハーバーは良い映画って言ってもあとの九人が糞だって言ったらマイケル・ベイはやっぱり糞だってことだし」
 二人はすっかり五人前はあったすき焼きを食べ尽した。二人の胃袋はどうなっているのか、それは、まるで価値観が別の価値観を排撃する時にしか優位性を保たないように、二人とも満腹であるがためにどうも判断することができなかった。宗教は異教を否定する時にのみ真実を語る。
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