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何が悲しいって小さかった頃は親に貰ったわずかなお金を握りしめて駄菓子屋で迷いに迷って買った四角い、全部で十八粒あるさくらんぼ餅を付属の爪楊枝で丁寧に突き刺して食べてとてもおいしくて幸せだったのに、今じゃ全然おいしくなくて、同じように働いて手にしたそのときの何百倍のお金でも同じ感覚が味わえない。
昼寝などしたときこれが夢だと気づいても体がとても重くて起き上がれない場合がある。こういう時ああ自分は強制的に眠らされる強制的に死なされるんじゃないかと怖くなっていた子供時代を美幸は思い出した。空腹なうちに眠ったのがいけなかった。腹がへると眠たくても時間が異様に遅くなる。でもただ長く生きたいだけの苔のような人にはいいかもしれない。
世の中のSだとかMだとか主張する人々はまったくもってそうじゃない。ドSドMという言葉は松本人志が初めて使ったなどと言う人がいる。ど阿呆などの言葉での強調する意味での接頭語「ど」は江戸時代から使われていたようだが、単純に度合いの大きなことを表す意味としてはドレッドノート級を超える大きさの戦艦に超ド級と充てていたものからきてそれは二十世紀のはじまりごろだろう。このドレッドノートがそれまでの目測で砲弾を発射していたのから、何発か適当に撃って上がった水柱から計算して砲弾をあてて行く方へ戦法が変わって行くなかで、大砲の大きさを統一して片側で何発も撃てるようにして距離の試算を格段に速くしたのが革新的であり戦艦のデザイン業界を席巻したからだがマゾヒズムとサディズム、それは所有願望と被所有願望の表れだ私はこの男のすべてをしたい、私はこの男にすべてを支配されたいっていう突き詰めたひとつの愛の形に試験が加わったもの。
試験? と美幸は聞く。話しているのも美幸の夢だ。
そう試験。
性的嗜好の一つに女性に男性器がないのを自覚させるというものがある。もちろん女性には男より穴が一つ多くえぐれていて男性は女よりひとつやたらに突起したものがある。それはあたりまえのことだが、男性からすれば女性とは少年的な感慨を持ったままでいたとするなら、ちんちんの無い人間だ。そして目の前にいる愛している異性が、たとえば童貞がはじめて女性の下着の隙間へ指を差し込んだ時のように腹部からすべっていった手のひらの下着への侵入してけぶっている陰毛へふれて緊張を最大のものにしながらその先へ指をのばしたがそこで角度は大きくわりこんで谷のように丘からくぼんでいるのを知った時の興奮や、裸体で立った女性の女性特有の広さを持つ骨盤によって足の付け根が男性よりも広いためにできた両足の間の空隙がそのまま男性器が存在しないことを思わせることや睾丸を打ったときの痛みを説明しても理解されないときの感覚はその対象の女性が自分という男性にちんちんがないことを認めて目の前でまさに男性でない存在、女性としてありありと浮かび上がって来る感慨を尊重しているわけなのだが、それを既に女性が男根を持たないことぐらい承知で再確認するのは試験だからだ。自分の愛している存在に対しての性欲は常にその存在が大事であるからこそ新たに愛として認識しなおさなければならず、それがいわゆるまだ子のいない夫婦がマンネリズムを打破するために様々な手を尽くすことが良い例だろう。つまり本当にすべてを所有してるのか所有されてるのか試すのがSMの嗜好をもった人間同士での愛の再確認方法で、だからこそサディストは愛を持ってはずかしめる。どんなに恥ずかしい耐えられなさそうなことでもそれを耐えるのが耐えさせるのが所有するほど所有されるほどの愛の証拠になるわけで、それは結局のところ再確認であり、人間の喜びの種類は再確認を軸にしたものが確かに存在するからこそ一枚の硬貨で買ったお菓子の喜びを味わい直そうとその何倍もの金額を使ってでも味わおうとするものである。
あなたは誰なの?
夢のなかで語りかけるこの男のような美幸はにやりと口をゆがめたまま何も言わず夢は終わりまた無へと落ちていった。
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