子供は無垢が故に善であるなどという馬鹿な人間の考えは理解できない。
無垢はもちろんまっさらなことで、それはつまり何も知らない、無知のことだ。
無知であるということはつまり道徳がなにかも知らないわけで、だからこそ学校で道徳を悪徳な教師によって教わるというものだ。
人は徳がなにかを知らず考えずに徳ある行為をなせるだろうか。
子供が(馬鹿だから)可愛いのは認めるとして、可愛さが善となるだろうか。
可愛さは幸せに繋がりやすいからこそ全人類的幸福を目指す善の要素の一つたりえるが、その可愛さを凌いでありあまるほど子供は残酷だ。
子供はまさに保護なしで生きられないからこそ大人以上に生存に対して必死だ。
生まれたばかりの乳児は生存したいという遺伝子的欲望の他にまだいかなる概念も知らない。
それはもちろん純であるのは疑いがないとしても純粋すなわち善とはならない。
純粋に欲望のみを持っている生物となればそれは人間として限定されずその他動物の生存となんらかわらない。
欲は他者の利害を考慮しない。
他者の利害を考慮してなお節制をもって欲を満たすその節度を徳という。その姿勢を善という。
そして徳は思考の整わないうちは教えなければ身に付かない。
大概の人間は自分で考えるようになっても身に付かないが。
子供は未来の象徴であるがゆえにポジティブなものだが徳を躾けられない子は純なまま節度のない欲望を追った結果不幸になるのではないか。
子供を放し飼いにした親が子供のしたことで子供が他人にしかられると子供だから許せないのかと喚くのを時折見るが、それはその最たるものだ。
先に可愛さも幸福の要素としてその可愛さに賭けて徳や善を教えないのもかまわないが、子供のうちその過半数が可愛さを失うのだし、親も自分の顔を見れば自分の顔の要素を半分持っていればどうなるかわかりそうなものだ。
人間、悧巧であるに越した事は無い。
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