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明日の味を今知ろうとすることについてだけど、特に日本において、革新的なものを求めようとすると、それがまるでより良いものを求めようとする欲求とは違う、なにか左寄りなもののように考えられているのがおかしなところだけれど、若さというのは、従来のものより新しくそしてより良く、そういったものを求めて、また自分自身もそうなろうとする欲求の溢れ止まない状態を言うけどさ、明日を求めるというその健全な筈の欲求が、いつのまにか、朝日に向けて咲いたのはいいのに夕暮れには背後からしか日の当たらなくなってしまったとき、夕日に向けて首を向けて行くのではなく、明日をただ待つようになって、明日を求めることが規則化されてしまって、その規則が明日を求める人々を傘下に、体制対反体制の図式そのものが固定化されて、本来の明日を求める、つまり未来を求めるその欲求が第一でなく、それを求め続けて来た過去、および今なお雌伏の時を強いられている現在が、より重要になってきて、これはもはや本末転倒じゃないかというのが、この「鷹」。

石川淳は左翼でも右翼でもなく常に体制に対して疑問を抱きつづけた作家。

「すでに臨時とすれば、この店はいつかは当然おおぴらに例のたばこの箱をならべて開業する日が来るだろうし、自分もまたしたがっていつかは当然おおっぴらに例のたばこをかついで就業する日が来るだろう。すなわち、万人がいつかは当然おおっぴらにかの上等のたばこの味をたのしむという幸福な日が来るまでのあいだには、どうしても現在と言う不幸な日が臨時に挟みこまれなくてはならぬような約束になっているらしい。「万人の幸福。」そういえば、どこかで聞いたような甘ったるいことばである。いや、それがうっかり忘れていた元来の自分の思想であったということを思い出して、国助はなおさら現在の不幸が切実に身にしみた。」
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