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女の手は綺麗であるべきか、という問題を女性は知っているだろうか? これは手こそが奉仕による疲弊を如実に表すからだが、手のあかぎれている女性に男は特別な感情を覚える。それが痛ましさか嫌悪かで大きく二分されるのだ。フェミニニティを意識する女性ならそれだけでもきっと反発するかもしれない。どうして女の手だけで男の手はそうじゃないのよ! って感じで。だが男性の手は本来荒いのだ。本来荒いものが綺麗ならというのと、本来綺麗なものが荒れてしまっているのとでは大きく違う。ウサギのように走るカメとカメのように走るウサギほどに違う。僕は一度、半年ほどだが手の恐ろしく綺麗な女性の手を握っていたことがある。自分が注げる綺麗さのパラメータをすべて手に注いでしまったような感じだ。つまりそれ以外は推し量っていただきたい。とかくにもそれはまさに白魚のような指だった。どんなに不思議な動きをさせたとしても洗練さが漂って、ネイルアートでごまかしている女性達が絶対に手に入れられない気品があった。だがその手はついに荒れなかったのだ。彼女は彼女自身の恋と恋していたらしい。その美しい手はただ美しく僕の前で存在し続けただけで、僕の手から受動的に握られてやることはあっても何一つ能動的に働きかけてこなかった。手が能動的になるとき、それはすなわち荒れるということだ。女性の手が荒れゆくのは愛情のリトマス試験紙のようなものじゃないかと僕には思えるのだ。女性の手は常に荒れる方へ向けられていなければならない。男の手はさらに荒れたり綺麗になったりもできるが、女性の手は生まれつき綺麗かどうかに関係なく荒れゆかなければならないのだ。つまり実存はどうあれ女性の手は本質的には綺麗なもので、実存が本質から離れ行くにつれてまるでゴムを緊張させるように合力を増大させるのだ。だから女性は化粧の映え具合よりも手がどう映っているかを気にした方が良い。それだけで簡単に男を文字通り手玉にとれるから。
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