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「外国人男性が最も意欲的に覚える日本語は『わたしの、ちんちんは、でっかいでーす』である」
 と町中で白衣を着た浮浪者が税務署のポスターに映されたアイドルに向かって説いている。(この場合ちんぽこと言ったほうがよりかわいらしさがある)と美幸は考えながら行き過ぎた。時は、まるで仲直りが大前提の喧嘩をした後の恋人のようなしらじらしさを感じさせる青さが光る朝だ。
 本当はもっと寝ていたかった美幸だが、そのような朝に限って頭も身体もしっかり覚醒して外出しなければすまないような気がしたのだった。そうだ鴨川沿いを散歩しよう。体育の教師が満足げにうなずくほどにスポーツウェアを真面目に着こなしてぽよぽよ進む爺婆たちを尻目に追い抜きながらずんずん歩いて行こう。美幸はありったけの暖かい格好で出た。
 川沿いに降りた美幸がずんずん歩きながら、昇華された性欲をむんむんと漂わせながらかけ声高く走り抜ける運動部員達や朝もやでいい絵が撮れないなどと言いながら青春のもやには気づかないでいる映画サークルの大学生たちや、躾けられてないせいでリードの限界を越えようとしている犬にぶつかりそうになる自転車を極悪人を見るように睨みつける愛犬家である自分を愛する主婦やらを眺めていると遠くのほうで誰かが泳いでいるのが見える。寒中水泳か奇特だなと思いながら近づいていると泳いでいるのではなく溺れている。しかも溺れているのは泳ぐのでなく町中を歩くような格好の女だ。それを上から見つめている男はよく知っている人間だった。バイト先が同じな椎葉だ。古本に挟まっているしおりを集めるという趣味とは対極的な男前だ。
「溺れてるの誰?」と美幸が聞くと椎葉は今気づいたように振り向いて
「恋人」と言う。
「ふーん」美幸はそのじたばたしている女を見ていた。そもそも鴨川は大雨かで増水していてなおかつ川底にとけこむほどに泥酔していないかぎり溺れ死ねるものでもない。落ち着けばすぐ上を見つけられる。「で、なんで溺れてるの?」
「知らない。たぶん僕が溺れろと言ったから」と椎葉は本当に知らなそうに言う。肩にかけた鞄から『うめー棒』を取り出してぼりぼりと食べだした。川辺に繁茂する名も知らぬ草木にしがみつこうとしている彼女を覗き込むように眺めながら、ぽつぽつとたべこぼしが水面に浮いて小さな魚が集まろうとしてはばしゃばしゃと暴れる音に驚いてさっと逃げている。
「なんか平和な朝って感じだね」
「なにが平和な朝だよおまえは毎朝空襲でも受けているのかと」
「違うけどさ」
「だったらそんな愚鈍な台詞をむやみに使うなメス豚が」と椎葉は平然と恋人を眺めている。
「それ恋人への口調じゃない?」美幸が言うと椎葉は彼女方を向いて、
「ああ、ごめんぼーっとしてて混同しちゃった」
「そう」
 太陽がまぶしい。風がそよぐ。鴨川にそってしなだれる柳の葉が揺れる。眼をつむりすーっと深呼吸をしてみるととても気持ちがいい。のどかだ。ばしゃばしゃと椎葉の恋人がもがく音だけが響く。時折遠慮がちに車の走行音が滑って行く。
「っねえ」と椎葉の恋人があっぷあっぷしながらなんとかかんとか話す。音のある静寂が破れた。「鍵、か、鍵、かぎの番号、ば、番号なに、に」と。
「自分の誕生日もわからないとは底抜けの馬鹿だなおまえは」と椎葉は無表情に言う。椎葉の恋人はまた溺れるようにして潜り込んで、しばらくしてようやくその場から移動して石造りの岸に掴まった。「なんだ動けたんだ」と美幸がつぶやくと「ああ水いっぱいの二リットルペットボトル四本をまとめてこいつの脚と鎖でつないでダイヤル式の錠前をかけたんだ」そうか、それで鍵の番号なのかと美幸はなんとか二人の方まで這い上がって来た椎葉の恋人の脚を見た。重そうに張り付くロングスカートの隙間から白くのぞき朝日に光る脚の先、可愛らしい革靴の終わりに革のブレスレットが巻かれていた。留め具が鎖に堪えられるほど頑丈そうだ。椎葉の恋人はすっかり水にまとわりつかれて肩で息をする身体の範囲にそって水のしみができていた。椎葉はみおろしている。
「どうして誕生日だったの、鍵の番号」と美幸が聞くと椎葉はそっぽを向いて「それが愛ってもんだからだろ」と言う。「行くぞ」と恋人に手を差し伸べて立ち上がらせると美幸に「じゃあな」と言って去って行った。まだ苦しそうに老けたような姿勢でゆっくり歩む恋人の両肩をいたわり支えながら歩く椎葉。空が光っている。その後ろ姿を見送りながら美幸はつぶやいた。
「愛?」
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