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たとえば僕は泣く子も濡れるほどの美男子だ。
どんな些細な挙動からも洗練が匂いたち、
いかなる瑣末な言動さえも機智に富み、
人は僕から常に満足を期待せざるをえないだろう。

けれども人を見た目で判断してよかったのだろうか?
すこし学校で先生に習ったことを思い出してもらいたい。

どうして人はネガティヴなことに対しては
人を見た目で判断してはならないとして、
ポジティブなことに対しては
思いっきり見た目で判断するのだろう?

そして自分が下した判断と違ったと気づいた時、
どうして勝手に失望するのだろう?

僕が女性の二の腕の美しさを語ったとき
あなたが好きなものを否定したとき
不細工な人の変顔で笑ったとき
難病の子供が死ぬまでつきまとう番組を鼻で笑ったとき
鼻をほじって味を確かめたとき
ガールフレンドを試すために実は性的不能者だと嘘をついてみたとき
くだらない話に「そいつはすげえや」としか返事しなかったとき

なんか思ってた人と違うとかいいくさりやがりなさるのだ。

ぶっちゃけると僕は電車で老人に席を譲ってみて譲らなかった奴らを
見下した目つきで眺めてやってその反応を楽しむようなクズだ。

しかし見た目が悪人じゃないからって、
いかにも悪人だったやつが悪人だったとき以上に失望するのはやめてほしい。
そもそも僕に希望を持つのをやめてほしい。
無意味な期待ほど有害なものはないんだから。
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