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小説を読むにあたって古い作品にはもちろん違和感がある

谷崎潤一郎を今読んで僕らはきっと人物の心理に多少理解できなかったりするだろう

何よりも芸術作品は時代の鏡であるし
架空の世界を描き出したものであっても
それが架空のもだと理解するには現実との比較が絶対に必要だからだ

風化した文化により違和感
それは小説にとって一番の敵なのかもしれない
道徳の風化は仕方が無い
そもそも多くの小説家は当時の道徳に対して何らかの不満を持っているからこそ
風化するなり変化するなりしてほしい事柄として道徳を描くのだから

次に流行語だ
これは今谷崎潤一郎や永井荷風などの小説を手に取って
作品の終わりにある注釈の多さを見ればわかるだろう
流行は必ず廃るものだし
流行の廃らないときは時代がおかしくなっている証拠だ
(あるいは当時の人間にとっておかしくない時代なんて無かったかもしれない笑)

その次はカタカナ語だろう
たとえばOften という語は時代にあわせて色んな書かれ方をしているだろう
オッフン、オフトゥン、オフツン、オッフテュンとかさ
これはもう原語で書いてしまったほうが風化しないだろう
僕はいまだにビビンバがどう発音すれば正しいのかも知らないし
文章で意思疎通する際には비빔밥と書いてしまった方が間違いが無い
来年の政治家はもしかしたらイニシャティヴとかマニフェストーに書いて
再来年にはイニシェイティヴと書いているかもしれない

|でもそもそも発音というのはそこまで大事なものなのだろうか
|ある程度の基準は必要だろうけど訛っているとちゃんとした言葉でないのはおかしい

まあ風化するものの羅列に飽きて来たからもう締めるけど
そういった文章などに対する違和感は読者と作家の間での
最も大きな障壁だ
その障壁を取り除く方法として新感覚派の技巧は
新しい形をとって再流行してもいいように思う
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