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歴史に名を残す評論家なんてものはまずいない。
いたとしてもそんなの大体が嘘っぱちだ、名を残せてもそれは評論家というより研究者的側面だけだから。
それなのに、辛口評論家ぶっているブロガーとかが多くてなんかいらっとしたので褒めるだけの書評をなにか読むたびに書こうと思う。
褒めていながら身のある文章を書こうとするのはただ難渋な言葉でけなすより難しい。小説は褒めるが他はいつも通りけなしたりしていくつもりだ。どうしてだれも文庫本の解説のようには書いたりしないのか、書けないのか。

第1冊目としてちょうど読み終わったこの小説。
佐藤友哉は作家のなかではかなり若い部類に入るのだが、高尚な読者たちはこれだけで嫌がる。彼らは若い人間に自分が魅了されることを恐れているからだ。連中は無駄にプライドが高いので生きている人間や死にかけていない認めない。

文学という言葉は形骸化してきている言葉で、大衆文学と純文学とは何が違うのかなどといつまでも議論されているが、とりあえず、小説のなかのエンターテインメント性とは違う、魅力を持った芸術的部分を文学性と呼ぶとして、文学には二種類ある。すでにある形式や手法を用いて見事な作品を作り上げるものと、新しい形式や手法を模索するものの二つだ。

この小説は間違いなく後者に値する。万人のためでなくたった一人を救うために数人がかりで文章を築く片説家である主人公を導いていく波乱は一見、ポップで荒唐無稽かと思わせておきながら、既存の形式や定石をふんだんに用いてストーリー上にはカタルシスもありつつ、今後の文学の行方に対しての自分の姿勢、小説という実学でない文章のありかたを示している。
文章は小気味よく、あらたな文体のリズムを試してみながら、時折漫画やライトノベルなどに好まれる手法も踏襲していて、権威主義者の老人でなく若い人間の共感に立とうとしている姿勢もすばらしい。また日本文学にありがちな登場人物の影が薄いという欠点を見事に克服してキャラはほぼ全員立っていてある種の極端に立っているのがいいが、それも文体の軽快さが成せる大胆さだろう。

基本的には話の筋には触れたくないのでストーリーの詳細を褒めたいながらも割愛するが、このストーリー展開を好まない人も多いだろうと思う。それが小説家にとっての苦難であり努力を極めるべきポイントであるから仕方がないのだが、読者は食わず嫌いが非常に多い。世の趣味が読書の女性の八割は東野圭吾しか読んでいない。そんな方々には食べてもらえないかもしれない。人が死ぬという深刻な出来事がないとストーリーがあると感じられない不感症な人々でも読書を重ねればいつか変われると僕は願い信じてもいるから、いつかまた文学ブームでも来たらいいなーと思っている。

もし、来るとして、佐藤友哉のことは昔から知っているぜとなれば、ブームに乗ったにわかな女の子なんかと仲良くなれるかもしれない、そんな作家なのだ彼は。

褒めなれない人だからほんとうに褒められたかわからない。
次回にはもう悪口だらけになっているかもしれない。しかしがんばってみる。勝手な決意だ。どうせ1日に一人見れば多い方のブログなのだ。コメント欄もないから炎上もしないのだ。悪口書き放題なのだ。佐村河内がおすぎに似てるって言ってもかまわないのだ。ジャニーズと秋元康をからかっても平気なもの、それが小説家なのだ。

最後にこれから気に入った文章を添えておくことにする。

思考の更新は美しいものですが、転向は恥です。
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